就職活動。今の私からすれば、あんなにおかしなイベントはなかった。でも、当時は自分も周囲も必死だった。
〝ただの大学生〟からの卒業。〝社会から必要とされる人間”として認められるには、内定が必須条件。とにかく内定をもらわないと、不要の烙印を押されて、一生這い上がれない。そう思っていた。

夢追いフリーターを馬鹿にしていた私

銀行を受けている同じゼミの子たちが、赤(三菱)?青(みずほ)?と受けている銀行を探り合っているのを、私は横目で馬鹿にしていた。
それでも、高い学歴、有名企業への就職、社会の大多数に認められる価値観からは目を逸らせなかった。

当時私は、マスコミ系の会社を中心に面接を受けていた。自己顕示欲に収拾をつけられない大学生の行く道は、マスコミ内定か、夢追いフリーター。そんな勝手な2択だと決めつけていた。
だから、バイト先の夢追いバンドマンや、何年も留年して自主映画を作ってる知人も、馬鹿にしていた。2年後には自分がその立場になるとは思いもせずに。しかも、夢追いフリーターでもなく、ただのフリーターに。

ある映像制作会社の面接が順調に進んでいた。一次は集団面接で、1人10分で自己紹介。きのこが大好きだというきのこ博士から、東南アジアで2年暮らしていたヒッピー風などなど。私も大学時代にせこせこ作り上げてきた「個性」を発表した。

2次からは、2人組のおじさん社員が面接してくれた。物腰柔らかで、話をきちんと聞いてくれる。私は2人の前だと饒舌で、楽しかった。
その2人が私の評価を上げてくれたのだろう、最終面接に辿り着いた。おじさん役員がずらっと並んだ部屋。私は内定をもらった。ここまでは良かった。

好きだった人とつきあえて、恋愛中毒に

大学時代、処女をこじらせていた私は、もう自分には恋愛はできない!と諦めていた。恋愛市場で価値がない自分はいい仕事にありつくしかない。就活に力を入れていた裏の理由はたぶんこれだった。
だが、内定をもらった年の夏、妙にモテ始めた。その中に私がいいなと思っていた人がいた。初めての両思いだ。

私は冗談抜きで、彼氏と24時間毎日一緒にいた。盛りのついた高校生カップルのように外でもイチャつき、振り込まれた奨学金をホテル代につぎ込み、毎回部屋に入ってすぐ一発ヤった。付き合い初めのカップルはみなそうだろうが、お互いにハマっていた。
触れれば涙が出て、相手が生まれてきたことに毎日感謝し、ドーパミンが間欠泉のように脳内で噴出し続け、まさに白昼夢のような半年が過ぎた。私は初めて恋愛の楽しさを味わい、中毒になっていた。

4月になった。ホテル暮らしに終止符を打たないといけない。母親は全く帰宅せず金遣いが荒くなった娘を半ば軽蔑していた。しようと思っていた海外旅行も英会話の勉強も、結局何もせず入社日が来た。

抜け殻のような気持ちで出勤

何かが変だった。面接を受けたときはあんなにやる気があったのに、まるで抜け殻のような状態で出勤した。輝いて見えたオフィスも居心地が悪い。

映像制作会社の本領が徐々に現れ、帰る時間はどんどん後ろ倒しになった。人が次々に辞めていく業界だから、下っ端に対する扱いはかなり雑だった。
実家に帰るのが難しくなり、一人暮らしをすることになった。彼氏は同棲してくれることになった。しかし、一緒に住んでいるのに会う時間がなくてすれ違いで、また発狂しそうになり、出社しなくなった。

出社拒否になるたび、役員たちが狭い会議室に何度も集められた。まだ君はなんの役にも立たない状態なんだよ(何も役に立たない分際で何ワガママ言ってるんだ)。君を入社されるのに何十万とかかっている(そのお金返せ)。生理痛って薬飲んでれば治るの?(子宮の悩みなんぞ知るか)。気遣ってはくれているが、私には全て()内に聞こえた。

彼氏に会いたくて辛いんです、とは話せなかった。とりあえず「生理痛が重い」と言った。

私はどうしてしまったんだろう?仕事ができる人間になりたかったのに。毎日すごく帰りたかった。人生で初めての腫れ物扱いに戸惑った。

「面白くない、2点」という評価

また就職活動の季節がやってきた。私は、面接会場の設営を手伝った。
面接官の採点表を整理中にちらりと見ると、100点満点の点数は、2点。コメント欄には「面白くない」の一言。これだけだった。

私は、こんな採点を人が人に下すべきなのか、分からなかった。私がたまたまこの採点表で高得点を取ったから、何だと言うのだろう。何の仕事もしていない、腫れ物社員だ。

社内の40代の女性に、私は彼氏といられないことが辛いことをついに打ち明けた。うんうんとうなずいていた彼女は言った。「でも、あなたが今仕事を辞めたら、結局あなたたちの関係は終わる」

本当にそうだろうか? その数日後、私は思い立って辞職の意思をメールで送って、出社しなかった。もう誰とも会いたくなかった。

もっと生活がしたかった

私は晴れて無職になった。彼氏とは別れずに済んだ。
家で家事をしていると、実家で暮らしていた頃はむしろ避けていた家事全般が、意外と面白いことが分かった。私はもっと「生活」がしたかったのだ。たまに嫌気が差す日はあっても、家事は、自分や自分の家族の身の回りのことに気を配れる、心の平穏にとってすごく大切な行為だった。私は今まで家事を見下していた。

そして、心のどこかで自分はキャリアウーマンになるべきだと、自分に押し付けていたことも分かった。
結局、私にとって就職は、恋愛市場での価値の低さを補うための、実家の親の束縛から逃げ出すための、程のいい手段だった。それに気づかず、面接で程のいいことを言い、うまくいった気になっていた。

会社の皆様、私が受かったせいで落ちた皆様、身勝手でごめんなさい。でも、私はこの失敗が無ければ学べなかった。

今は貧乏だけど割と幸せである。何より色んなことに自由に考えを巡らす時間がある。大学生の内に、恋愛も一人暮らしも一通りしておけば、この就活の失敗は起こらなかっただろうなと思う。タイミングは難しい。