合鍵を返すドラマチックな幕引きに 名残惜しさと嫉妬が香る

失恋すると短歌を詠む悪趣味がある。何度も眺めながらその時の感情を反芻したり、反省したり、泣きながら自分に酔ったりと使用法は幅広い。自分をどれだけ深く別れの悲しみに浸すことができるか、が失恋からの早い回復の決め手だと思っている。

もう私の中では終わってるんだよ、諦めさせてよ

別れた後に、合鍵を返さなければならなかった。それは二人の関係がもう完全に終わりだということを意味していた。一人では耐えられないと思った私は、元々彼に連絡して、飲みに行く約束を取り付けた。男の穴を男で埋めようとする不毛さに気づいていたものの、止めることはできなかった。

彼は、合鍵を返す際に、この後どうするのと気軽な調子で聞いてきた。私はせめて嫉妬させようとあがき、元々彼に会うよと言った。その瞬間彼の様子が変わった。行かないでよ。会ったら君で胸がいっぱいになった。頭が嫉妬で沸騰する。そんなことを言ってきた。ふざけんなと思った。今更、そんなこと言われても。私がどれだけあなたを断ち切るために苦労したか。もう私の中では終わってるんだよ。諦めさせてよ。

振り切って電車に乗ると、帰ってきてよとラインがきた。自分から手放したくせに、なんでそんなこと言うの。電車の中で人目をはばからず泣いた。もう自分のものじゃないことを実感した、でも今すぐ会いたいなんて、なんで言うの。名残惜しさなんて見せないでよ。期待させないでよ。会ったら記憶が鮮やかすぎるって言ったけど、そんなの私だって同じだよ。

眼球が溶けるくらい泣いた。喪失の痛みも辛かったが、元彼と別れる際に元々彼を利用するなんて、なんていやらしい女なんだろうという自己嫌悪で頭は支配されていた。

彼の言葉で、私の中の過去の元彼呪縛は解けた気がする

彼が私にとってとても大切な人だったのは忘れられない言葉をくれたからだ。それは二つあって、恋に落ちる決め手となった。

彼と付き合う前、大恋愛の末に振られていた。破局した理由は持病のコントロールができないせいだった。破れかぶれになった当時の私は、マッチングアプリで男を漁っていた。
彼はその時のセフレの一人で、割り切った関係から恋人に昇格した。

私の精神を形作ったとも言える元彼の話を面白がって聞き、あなたのベースになっている今でも大切な人なら忘れなくてもいいんだよ、と諭してくれた。それで、私の中の過去の元彼呪縛は解けたような気がしている。彼は、もうあの人より好きな人はできないんじゃないかという恐れを溶かしてくれて、幸せの中に導いてくれた人だった。

もう一つは、病気に関しての包み込むような言葉。私には双極性障害という持病がある。いわゆる躁鬱病だ。気分の波や希死念慮に翻弄されている私に、病気はあなたの本質ではない、それは特徴でしかないよ、と自分の中心を取り戻すような言葉をプレゼントしてくれた。気分の波に翻弄され、本当の自分が分からなくなってアイデンティティが拡散することを恐れていた私にとって、それはおまじないのようなものだった。

彼と私はとても順調で、一緒に料理をしたり勉強したり、ほのぼのとした付き合いを続けていた。ただ一つ、私の精神が安定せずに彼に頼りきりという問題以外は。

私は彼の優しさに甘え、彼は次第に疲れていった

双極性障害は、時に人間関係にも影響がでてしまう精神疾患だと私は思っている。変わりやすい気分に自分も相手も振り回され、様々なところで誤解されてしまうことが多かった。私の場合、継続的に就労することが難しく、転職を繰り返すうちに社会的なステータスも低下してしまった。

私は鬱になると泣きながら深夜に電話をかけたり、人生の重苦しい相談をした。彼の優しさに甘えたのだ。自分で自分の機嫌をとり、コントロールすることができなかった。彼は次第に疲れて、まるで介護しているようだと言った。私は過去の別れと同じルートを辿っていることに気づいていたが、依存は止められず、同じことを繰り返してしまった。

世間から見た地位が全然違ったのも苦しかった。彼は一流の研究者になるために努力していて、一方私は病気でニート。自分なりに将来を模索していたものの、引け目を感じていたのは事実だ。そんなうじうじした私のことを鬱陶しく感じても仕方ないと今は思う。

恋人をカウンセラーとして利用したことが破局の決定打だ。自分の傷は自分で修復するものだと学習できたことが今回の教訓だけど、無理やり治そうとしなくても時間が解決してくれたりする。おそらく私は時間薬の概念を忘れ、全てをすぐ一人で解決しようとしたからこそ、この結果を招いたのではないかと思う。頼ってはいけない、でも辛い、それでもなんとかしなきゃ。そんな思いが濁流となり、積もり積もって私の感情のダムは決壊していったのではないか。

私に必要だったのは、孤独と痛みを抹消する方法ではなく、重苦しい胸のうちはそのままに日々を過ごすという知恵だったような気がする。病の辛さも傷心も、台風が過ぎ去るのも待つように、やりすごせばよかった。そうすれば、応急処置に男をあてがうわけでも、依存するわけでもなく、ただ自然治癒を待てばいいだけ。頼ってはいけないと抑圧するからこそダムの水は膨れ上がったのだ。

依存し、傷を癒され、そしてまた依存するというサイクルを自覚しながら繰り返すのは、薬を塗られたナイフを矢継ぎ早に自ら刺すのと同じだった。死なないけど傷も永遠に治らない。それよりも自分の中に、地味な特効薬があると気づくことこそが依存を断ち切るのには役立った。淡々と暮らす日々が一番自信として降り積もる。