「今更、恋人になるプロセスを踏むことが、もうめんどくさいんだよね」
5年以上同じ彼氏と付き合っている友人のその言葉に、少しの共感もできない私は、恋愛中毒の痛いアラサーなんだろうか。
恋愛の一番の醍醐味は「あれ?もしかして、この人も私の事好きなのかな…?」なんて両想いを期待して、お互いに思わせぶりな言葉を交わしあって、でも確信は持てずにモヤモヤしている、あの時期だと思う。面倒くさいどころか、そこが一番楽しいプロセスじゃないか。
と思うけれど、社会人ともなると、そんな回りくどい恋のプロセスはすっ飛ばされることが多い。紹介で出会って、お食事をして、ちょっとデートなんかしてみて、相手のスペックを聞き出して見積もって、「付き合ってください」「はい、よろしくお願いします」なんて、敬語で話す状態から始まったのが、婚約者とのお付き合いだった。
自分が恋に恋するタイプの人間である自覚はあった。
けれど、結婚適齢期といわれる時期を迎えたのだからいい加減に落ち着こうと、付き合って2年目の冬、婚約者との結婚の意思を決めた。
…にも関わらず。
結論から言えば、懲りもせずに新しい恋に心ごと持っていかれて。
気づいたらあっさりと婚約を破棄して、しっかりと慰謝料を支払っていた。
一途に愛するとはどういうことなんだろう
昔から、恋人が途切れたことがなかった。
それは決してモテるということではなくて、自分を好きになってくれる人が現れたら次々と乗り換えていっただけの話だった。だから、1人1人との交際期間は長かったほうだと思う。
「君がいないと生きていけない」
「ずっと君の事だけが好き」
「こんな風に人を好きになったの初めてなんだ」
そんな歯の浮くような台詞をよく聞かされた。
リップサービスでしかないと思っていたし、もし本気で言っているなら、当人の想像力不足でしかないな、と冷めた目を向けた。
だって、そうでしょう。
実際、私に振られた後、命を絶った人なんていなかったんだから。
1人の人を一途に愛し抜きたい。ずっとずっとそう思って生きてきた。
でも、そんなことはお前には不可能だってあざ笑う私がいる。
そもそも一途に愛するとはどういうことなんだろう。
私は確かに、元恋人たちにさよならを告げて、新しい人と付き合うことを繰り返してきたけれど、彼らは彼らでそのうち新しい恋人を見つけていた。
時間差こそあれ新しい恋人といるのだから、私と彼らの違いなんて、フったかフられたかというだけで、一途さにおいてはそんなに違いなんてないじゃないか。
私は別の人を好きになれる自分を知っているけど、彼らはそんな自分に気付いていないだけ。私が好きだったんじゃなくて、私の性質が好きだっただけ。それだけのくせに。
婚約者がいても、恋に恋することをやめられなかった
本当は分かっている。
誰かと付き合っている時に、ほかの人に心を奪われることがいけないことなんだって。
それが私と彼らとの違いなのだと。
人に惹かれる心を止めることができない。
そして、その気持ちは相手に伝わって、いつしか両想いになってしまう。
今回もいつものパターンだった。
でも、婚約がただのお付き合いと違うことは重々承知していた。
だから、一生懸命真っ当な人間になろうとしたけれど、今の彼の真剣で切ない瞳と愛の言葉は、あっけなく私の心を攫っていった。
自分の貯金から慰謝料を支払い、各方面に頭を下げて婚約者と縁を切った。
優しい婚約者を傷つけて、自分が加害者のくせに、図々しくも、傷つけたことに傷ついた。
傷つく資格もない最低女だと分かっているのに、罪悪感で勝手に涙が溢れてきた。
けれど、
ここまでできるのだから、今の彼の事は一生一途に思い抜くだろう。
・・・と、このエッセイを終われるなら、どれだけよかっただろう。
その自信は、私には微塵もない。
なぜなら、婚約者は彼に負けたのではない。
新しい恋に負けたのだ。
結局、私は、この期に及んで恋に恋することをやめられなかった。
私にとっての「一途な愛し方」は、彼を愛すという決意を守り抜くこと
この性質はずっと変わらないだろう。
それでも、私は、今の彼と結婚する気でいる。
人を傷つけて、そのことに自分も傷つく毎日から、もう解放されたいのだ。
結婚という鎖や、彼という存在。
それらの外的要因で私が変わるとは思えない。
結局のところ、意思の問題でしかないのだろう。
どれだけ心を奪われようが、求められようが、彼以外の元へ行かないこと。
そう決めて、その決意を守り抜くこと。
それが、恋に恋する痛い私にできる唯一の「一途な愛し方」だと思う。
今度こそ、次こそは、芽吹きそうな恋の芽を踏みつぶして、彼の元へと走っていこう。