私は自分自身がコンプレックスだった。

どこがどうコンプレックスなのかと聞かれるが、まあ顔が可愛くないとかA型のくせして大雑把とか色々あるけど簡潔に言ってしまえば、人間の容貌をしている自分がコンプレックスだった。我ながらかなりアホだったと思う。

小さい頃から外を歩くのが苦手で、横断歩道を渡るなんてもう、超一大イベントだった。とにかく車の視線が気になって仕方ない。「アイツ、人間だよ笑」と思われているんじゃないかと気が気じゃなかった。本当にアホだった。

「作家になりたい」と思うようになった理由は

しかしそんなアホな私もいつしか成長し、今年は18歳になった。18歳ともなればもうさすがに人間の容貌をしている自分を受け入れたし、横断歩道もポッケに手を突っ込みながら渡れるくらいには大人になった。

自分自身をコンプレックスに感じなくなったことには理由がある。

それは、作家になりたいという夢が大きく関係していると思う。

物心がついた時から私の手元には色鉛筆とスケッチブックがあって、常に何かを創作してきた。ポエム、漫画、絵など腐る程書いてきた。勉強も学校も嫌いで友達も少なく、もちろん教科書など開いたことがない。そんな万年反抗期ムスメには、ずっとずっと憧れている女性がいる。

さくらももこ先生にあこがれ、エッセイを読み

ちびまる子ちゃんが大好きで、ずっとちびまる子ちゃんを描くさくらももこ先生に憧れて、画力もないくせに漫画家に憧れたりなんてしていた。それでも自分の将来を白黒つけられないまま高校二年の夏を迎えた時、さくらももこ先生が亡くなった。私はその時初めて彼女がエッセイ本を出していることを知り、初めて彼女の文字を見た。私は3行目にして心震わせ、2ページ目にして将来の夢を見つけた。

「物書きになりたい」という、真っ白な夢。

さくらももこ先生のように、難しくなくて、老若男女問わず簡単に理解できて笑えるような文章を書く女になりたいと強く強く思った。思ったどころではない、神に誓った。なんちゃって仏教の私が仏だけでなくイエスキリストにまでおててのシワとシワを合わせたのだから相当本気である。

その本気こそが自分自身の自信へと繋がったのだ。

それにしても、私は大切な将来をさくらももこ先生に2回も影響された。恐ろしい人だ。

もし彼女が歌手や女優にまで手を出していたら、私もおきまりのごとくそれらに手を出していたのだろうか。なんとも情けない話である。

私が物書きになれるかどうかは別として、今は周りの目なんて気にしている暇はないのだ。物書きになるという夢だけを見つめるのに忙しいのだ。