ある晩、私はキッチンバサミを片手に姿見の前に仁王立ちしていた。そして写し出された己をじっと睨んでいた。

10分後、胸の下まであったロングヘアは、見るも無惨なボブカットに変わり果てた。

私はその晩、「ふと」キッチンバサミでザクザクと髪を切り落としたのだった。

褒められる度、「私は髪を伸ばすべき人間なのだ」と思った

物心ついた時から、ゆるいパーマのかかったこげ茶のロングヘアが自分の「当たり前」だった。
それ以外考えられないと言っていいほど、ロング以外の髪型は選択肢には無かった。だから、美容院に行っても毛先を揃える程度で、決して「挑戦」することは無かった。

何故これほどまでにロングヘアに執着していたのか。
思い返せば、幼少期に姉から「男」とからかわれた経験が蘇る。当時ショートカットでボーイッシュな服装(Tシャツ・短パン・キャップ)を好んで纏っていた私は、度々近所の方や市民会館のおばさんなどに男の子と間違えられた。それ自体はトラウマではないが、やはり姉から「やーい男!」とからかわれた過去が、「絶対に男と呼ばせてなるものか」という決意に変わり、髪を伸ばすようになったのだ。

また、そんなこんなでロングヘアをキープしていたら、よく褒められた。
「髪綺麗だね」「さらさらだね」「シャンプー何使ってるの?」「羨ましい髪質」
快感だった。

私は髪がべらぼうに強い。
髪は細いのに、何故か強い。染み付いたホームケアの習慣もあるかもしれないが、何回パーマをあてたって、カラーを入れたって、ブリーチを繰り返したってへこたれない、はじめましての美容師さんは毎度驚く謎の髪だ。

そうして褒められる度、「私は髪を伸ばすべき人間なのだ」と思った。
そして、「私にとっての数少ない武器を守らなければ」と思った。

なんで切ったんだろう。自分でもよく分からなかった

しかし、「ふと」、髪を切った。
ザクザクと、自慢の髪の毛が切り落とされる。体から離れた髪の毛というのは途端に気味が悪く感じられる。タンパク質、ゴミ。

セルフカットの仕上がりは酷いもので、翌日は見るに耐えないボブカットを誤魔化す為、雑に結って出勤した。

昨日まであったはずの私の髪が忽然と消えている事実に気づいたアルバイトの子の1人が、「どうしたんですか!?」と話しかけてきた。
「なんで切っちゃったんですか!?」
なんで切ったんだろう。自分でもよく分からなかった。
「あー…無駄なんで」と答えた。

その日の晩、美容院でさっぱりとしたショートカットに揃えてもらった。ショートボブではなく、ショートカット。
美容師さんは褒めてくれた。
「頭の形がいいからショートも絶対似合うなって前から思ってたんです」
嬉しかった。

長所があるからといってそれを伸ばす義務などどこにもない

「なんとなく無駄」というレベルまでしか意識は到達できなかったが、キッチンバサミは知っていた。
髪質がいいから伸ばさなきゃならない、とか、女の子らしくいたいから伸ばさなきゃないない、とか、全部全部無駄なのだと。長所があるからといってそれを伸ばす義務などどこにもない。

切ってよかった。私は今の髪型が好きだ。周りに「なんで切っちゃったの」と言われても、「私はこれが好きだから」と返せる自信がある。今では、このサラサラのショートカットが、私の新しい武器だ。