私は人に「かわいい」と言うのが苦手です。
女の子同士で集まると、すぐ
「えー○○ちゃんのその服かわいい~」
「ありがとう~○○ちゃんもかわいいよ~」
とか
「今日のメイクかわいいね~」
「ありがとう~てか○○ちゃんのバッグなに?ちょーかわいい~」
とか、そういう褒め合い(軽い運動?)が始まることが多いです。
この、「かわいい」の往来を上手にこなせないのです。
もちろん、誰のものでもない文具や、キャラクター、動物に「かわいい」を言うことはできます。ただ、他人(の所有物)に対して「かわいい」が言えないのです。
そもそも「かわいい」っていうのは、赤ちゃんとか小動物など、自分より身体が小さいものや、年下(昔風に言うと位が下?)の人に使う言葉だと認識しています。もちろん友人やその他大勢が同じ認識で「かわいい」を使っているわけではないと思いますが。
私からの「かわいい」で相手は嬉しい?考えれば考えるほど「かわいい」が言えない
仮に私が「○○ちゃんのそれ、かわいいね!」と褒めたところでその人は嬉しいのだろうか?
「あんたにこれの良さわかるわけ?」とか
「そんなこと思ってないくせにとりあえず褒めとこう、とでも思ってんのか?」とか
「褒められちゃったから褒め返さないといけないじゃん面倒くさ…」
なんて思われやしないか、と考え始めたら、それはそれは安易に「かわいい」なんて言えなくなるのです。スーパーネガティブ思考が働いてしまいます。
同様に、先手を打たれてしまい、相手から褒められた場合、「私も相手の○○がかわいいと思ったけど、このタイミングで褒め返したら『かわいい』へのお礼、『ビジネスかわいい』だと思われちゃうかも…あとで時間あけて褒めようかな…それも『かわいい』探ししてたみたいで変だよな…」などなど、不毛とは分かりつつもごちゃごちゃと考え、女子特有の軽い運動を息を切らしながらやり切るのです。
「かわいい」は自分が言えば言うほど他人からも言われるのかも?
そうなると、自分からの「かわいい」は減り、自ずと他人からの「かわいい」も減っていきました。
もしかすると「かわいい」は他人から言われれば言われた分だけ自分も言えるようになるし、自分が言えば言うほど他人からも言われるんじゃないか。(「かわいい」貯金の個人的考え)
自分の中の「かわいい」貯金(なんだそれ)が底をつき、本当に「かわいい」と感じた時や、いつもなら「かわいい」と素直に言える場面でも、「かわいい」が言えなくなるのです。
負の無限ループです。
最終的にはなにかも「かわいくなく」思えてきました。
自分も、相手も、お気に入りの服も、全部「かわいくない」し、なにかに「かわいい」とも思えなくなりました。
冒頭で書いた「かわいい」の往来。
自分が一番「かわいい」と思ってるくせに、うそみたいな薄っぺらい会話して、何の意味があるの?
そう考えていた私でしたが、たとえそれが本質的なものでなくて、軽い運動だとしても。
「かわいい」と言うことは、もしかしたら大切かも
普段から些細なことで「かわいい」と言うことが軽い運動だとしたら、それらの行動は、本当に「かわいい」と伝えたい時、素直に自然と「かわいい」言いたい時のような本番に備えるための大切なことな気がしてきた。
それに、最終的に全部「かわいくない」になった私とは対照的に、私が敬遠してた女の子たちは全部「かわいい」に見えているのかもしれない。
人生で色々なものを「かわいい」って言いながら過ごした方が幸せ(少なくとも人生は色づく)かもしれない。
そう考えを改め、希望的観測をした私は、「かわいい」をよく使うようにしました。
「『かわいい』を言う自分が『かわいい』と思ってる系女子」に見られないよう気をつけながら。