飽きっぽく、なかなか物事の続かない性格。やりたいことなんか見つけられなかった。一方、両親はいい大学を出て、いい就職先に勤めることを望んでいた。両親の価値観では、それが理想的人生だからだ。そんな気持ちは痛いほどにわかっていたが、行くべき道のわからない自分には、先々などはかすみのようなものだった。
書くことは好きだったけど、ずっと蓋をし続けてきた
なにもかも三日坊主の自分。しかし、実を言えば、書くことは、ずっと好きだった。
きっかけは、小学校低学年の時。紙に文章と絵を描いて、製本テープで冊子にすることが、校内で大流行したことがあった。ご多分に漏れず、私もその波に乗り、友達と本をつくっていた。だが、私がほかの子と違ったのは、ブームが去った後も一人で波乗りを続けていたことだ。私は、小説を書くことがやめられなかった。
けれど、根っこが三日坊主なので、小説は全然完成しなかった。そして、そのことは、私を落胆させた。自業自得だから、落ち込む資格もないようなものだが、それを私は能力が足らないのだと受けとった。
大学受験の段になって、何を学ぼうかと考えた時、文章を書くことに役立ちそうなことを学びたいなと一瞬考えた。しかし、その考えにはすぐに蓋をした。私には能力がないし、就職だって、そういう関係の仕事にはつけやしないと思ったからだ。
そうして、やりたいことの何もない、虚空を見つめる私になった。当然、受験勉強には精を出さず、親の望むような大学には入学できるはずがなかった。
しかし、第一志望の学部に落ちた結果、文章を書くことからそう遠くない学問を専攻することになってしまった。そうなるとばっちりライターになりたい友人には出会わなかったが、メディア志望の友人を見つけることはたいして難しくなかった。
けれども、ここでも、私は、たとえば新聞社を受けようなどとは思わなかった。自分などが受かるはずがないと思ったからだ。深い考えもなく、ただ、一人暮らししたいなとの想いだけで就活し、ひとつだけ内定をもらって、何の感慨もなく、多くの大学生と同じ道を選んだ。そして、文章を書く機会=業務でのメールといった生活をはじめ、四年が経とうとしている。
会社を変えて、根本的に解決する問題ではないんだな
数ヵ月前、急に体調を崩した。いま思えば、一時的な疲労とかストレスだったんだろうが、私には一大事に思えた。きっと仕事が原因だと思って、突然、転職活動をはじめた。
面接では、さまざまなことをきかれたが、会社を辞めたい理由だけはどこの会社でも必ずきかれた。
自宅では自問自答の日々だった。なんで転職しようと思ったんだっけ、体調を崩したことはきっかけだから、そこに至る動機があるはず。なんだろう、会社に必要とされている実感がもてなくなったからかな、たぶんこれだな、具体的にはこんなことがあった等々。事前につらつら文面におこしたものを本番では、頑張って演じた。
しかし、何回目かの「公演」の後で、ふと疑問がわいてきた。私は本当に会社に必要とされたいと思っているのか、と。そうじゃなくって、安心したいだけなんじゃないか、と。
新入社員の時はがむしゃらに走り抜けられた道が、はたと立ち止まった瞬間、10m先が闇だと気づき、行灯を持って歩く誰かに先導をしてほしいような気になってしまったんだなと気づいた。でも、きっとそれは許されないことなんだなとも思った。
ここからは、手探りをするか、自分で光源を見つけるか、そういったステージに突入したに過ぎず、会社を変えて、根本的に解決する問題ではないんだなとわかった。そこに思い至った時、転職は、やめにしようと思った。
好きな気持ちと正面から向き合ってもいいんじゃないか
振り返れば、書くことには、いつも正解がなかった。作文をほめられたりすることはあった。だが、確実なベンチマークがあるわけじゃなかった。そのことがいつも不安だった。そう思うたびに何度も何度もやりたいこと、書くことに蓋をしてきたけれど、それなのに、やっぱりしばらくすると中身が気になって、あけないわけにいかなかった。
去年「かがみよかがみ」のことを知った。実際に投稿するまでには葛藤があった。私なんかの文章が、などとひとしきり考えた。しかし気がつけば、自分は蓋に手をかけていた。
本来、三日坊主の私が、ちゃんと続けられてきたとはとても言えないが、書くことは、ここまで手放さずに持ってこられた。それは、やっぱり好きだからなんだろう。どうせ、何をしていても臆病になってしまうなら、そういう気持ち、それは片想いなのだろうけど、と、正面から向き合ってもいいんじゃないかと思えてきた。
2020年、私は、自分自身と向き合い、そして、発信する年にしようと思う。