「お母さんは私に誰のような人生を歩んでほしい?」
社会人3年目を迎えた2019年末。久しぶりに帰省した実家で、母へ何気なく投げかけた質問。「20代前半で結婚する」と意気込んでいた私もあっという間に25歳となり、周囲が結婚や出産、子育てに明け暮れる中、自分自身の将来あるべき姿に悩んでいた。

母の答えは意外なものであった。
「私はあなたに何も諦めない人生を歩んでほしい。結婚も、キャリアも、子育ても。やりたいことをすべてやってほしい」。そして次の一言にはっとした。「私、やっぱりあなたには野球に携わる仕事に就いてほしい」。私の心の中を見透かされているような気持ちになった。

野球部より野球に詳しい女子

私は中学生の頃、野球にハマった。特に高校野球にどっぷりと。朝起きてすぐに今日の朝刊のスポーツ欄をぱっと開き、必要な記事を切り抜く。ウォークマンでブラスバンドの野球応援を聞きながら登校し、学校に着くと朝切り取った記事をノートにスクラップ。帰りは迎えに来てくれた父の車のラジオでプロ野球を聞く…。1日のほとんどを野球に費やし、野球部より野球に詳しい女子となり、周囲は呆れていた。

高校卒業時の卒業文集には「大好きな高校球児を追いかける新聞記者になる」と書いた。文集が配られたとき、あまり話したことのなかったクラスの野球部の男子が「この文集の中に、たくさんの人の夢や目標が書いてあるけど、君の夢が1番本人に合ってる夢だと思う!絶対に叶えてほしい」と言われた。今でも忘れられないくらい、嬉しかった。

大学進学を機に1人暮らしを始めてからは、実際に地方大会の球場へ1人で足を運ぶようになった。13時プレイボールの試合に、朝の7時半から並ぶ。いつもの席に着くと、野球仲間のおじさん達が待っていて、あの選手はどうだとか、この選手のここがいいという話をする。年々高校球児との年の差は離れていき、数えるのも恐ろしくなるほどだが、社会人になった今でも、足繁く通っており、私の生きがいとなっている。

挑戦せずに諦めた新聞記者

しかし私は今、野球とは似ても似つかない、まったく別の世界で仕事をしている。というのも、就職活動の際、新聞記者をはじめマスコミ系の選考を1つも受けなかった。挑戦して受からなかったのではなく、最初から挑戦しなかった。

「新聞記者になっても高校野球の担当になれるわけじゃない」「やっぱり土日祝日休みの仕事の方が良さそう」「親を安心させるためには、安定が一番」。そうやって自分の気持ちに嘘をついて、地元の企業に就職した。今の仕事も十分楽しいし、周囲に恵まれていると感じるが、球場へ行くたび、あの時挑戦もせずに諦めたことを悔やんでいる。諦められないでいる。「高校球児を追いかける新聞記者になる」と力強く書いた高校生の自分への申し訳なさで心が押しつぶされそうになる。

私が高校野球に魅力を感じているのは、野球に全力で取り組む球児が、いつもキラキラしているから。自分の気持ちに正直に、大好きな野球に真っ直ぐに、自信を持っているから。きっと学生時代の私は、高校球児と同じくらい輝いていたに違いない。そしてその姿を見た母は、私が高校球児を応援するかのように、私の夢を応援してくれていたのだ。心から好きなものと向き合い、挑戦し成長していくことこそが「諦めない人生を歩むこと」。そうやって生きていく方が、楽しくてカッコいいと思えた。

私の人生の宣言は「自分の気持ちに正直に生きること」である。自分の本心を押し殺し、安全策を取るよりも、自分の本心を貫くためにはどうすれば良いかを考えていきたい。そして過去に後悔があるのならば、それをすべて修復していきたい。気づいたときに行動に移せることこそが、「正直に生きること」。今からでも遅くない。挑戦して失敗するのは、逃げることよりずっといい。

「『好き』を仕事にすること」。それが2020私の宣言である。