架空の処女喪失について考えていたらとまらなくなった。

女児の性器にシールが貼られる、ある国の話

その国では
女児は生まれた時に病院で性器にシールを貼られるのが決まりとなっており、
つまり男性に初めてシールを剥がされた時が処女喪失となる。

シールは牛乳瓶のふたのように
丸くて、「男性が」剥がしやすいように相手側に突起がちょこっとついている。

シールを剥がすと粘着面(すなわち女性器)が現れ、
男性器の粘着面と貼り合わせることが
この国での「セックス」とされる。

なお、男児には性器にシールを貼るという文化というか決まりはなく、
「それは男性器の形状や機能的にシールを貼ってもはがれやすいからです。しかし女性器はお母さんになるための大切な器官であり、その準備ができるまで、あらゆる外的刺激から保護する必要があります」
というのが保健の授業で習う定番の説明だが
一部の女性たちからは「それは建前であり根底に女性蔑視がある」と非難されている。
ほんとうの理由は、
古くから女性器が「卑猥なもの」「隠すべきもの」
また、男性に「使われるもの」としての意味合いを
文字通りシールのように貼り付けられているから、
であると彼女たちは言う。

シール改良のための研究にその国は余念がなく、女性が「自分で」剥がすことができない、出来たとしても気を失うほどの痛みを伴うようにシールは年々「進化」している。
つまりは男性(その国ではセックスは異性としかしてはならない)に剥がされないと女性は股の間の不快感から解放されない。
しかも剥がされても、右腕を失くした人が右腕が痒いように、その不快感は残る場合がほとんどだ。

シールを剥がされてから数年経つと女性器の粘着力が弱くなってきて
セックス時の快感が減る
というのが当たり前のように昔から言われていて、
処女でなくなった女性のことを
「中古品」
と呼ぶのはテレビやネットの中でもいまだに使われる表現だが、(そのため粘着力を回復すると謳う女性器用の美容クリームも各化粧品メーカーから出ている)
いる)
近年ようやくそれは「まったくの都市伝説」であり、
人体は接着剤ではないのだから粘着力なんてものはそもそもないということが、産婦人科医らの地道な活動によって定説になりつつある。

しかしシールが貼られたままの処女の「価値」は世間には根強く存在し、
最近ではメルカリで「シール」を売る人たちが現れ、物議をかもした。
シールを買い取って接着剤で自分の女性器に貼る「リベンジ女子」と呼ばれる女性たちや、お金のために自らのシールを売る女子高生を追ったドキュメンタリーも話題だ。
一方で剥がした女性のシールを切手のように集めるコレクターも昔からいるが
それについては「男のロマン」「変態」「男ってバカよねぇ」ということでその是非について深く追及されないことになぜかなっている。

……。

そもそも処女喪失の「喪失」って何だ?

なーんて。そんなことを考えていたらとまらなくなってしまった。
そもそも処女喪失って何なんだ? ひとつ経験が増えただけで、何を失うんだ?
とか、考えるのはわたし自身、処女を一刻も早く卒業したくてたまらなかった22歳の冬、あまり一般的ではない初体験の仕方を選択したことに関係がありそうだ。
どんな方法でだったかはここには書かないけれど、わたしはあれはあれで悪くなかったと思っている。
まぁ、そのおかげで彼氏いない歴=年齢、なのに、処女ではない、というふしぎな経歴になってしまって、いつか運命の人が現れたらどう説明してよいものか悩む夜もあるのだが、それは現れてきてくれてから、考えようと思っている。そんな冬である。

追伸:最近パンツを通気性の良いふんどしタイプのものに替えたら、股の間の不快感から解放され、女性器にシールが貼られている国の空想なんて浮かびもしなくなった。(正直なんでこんな空想したのか、どうかしていたんじゃないかっていま思う。)
パンツを買い替えてみたり。意外とそんなことから、わたしたちは楽になり始められるのかもしれない、と、思いたい。