校則縛りに則って同じ制服、髪色、その時期に流行した髪型に合わせて、集団で日常生活を送っていた。髪色は日本人が多く保有している黒色に基準を合わせる。それぞれの中学校・高校という看板を背負って生きる。枠の中に当てはめられた窮屈な世界。
仲良しだった栗色の髪を持つ友人は「元から茶色い髪なのに先生から目をつけられて困る」と苦笑いをしながら嘆いていたけれど、私はそんな彼女が羨ましかった。
彼女は多くの人に「髪綺麗ね」と言われて微笑んでいたにも関わらず、困惑をしていた。彼女のアイデンティティーの一つだから素敵なのに、捕らえられた枠とルールに辛かったのだろう。「みんなと違うから嫌だ」と弱く呟いていたのに対して「素敵だよ」と、当たり障りのないような言葉掛けしか出来なかった。
中学校や高校という枠に囲われている時間は、没個性の黒髪を通して表現しながら生きるしかない。範疇で作るアイデンティティー。鞄や筆箱などの持ち物で差を付けようが、自己表現に制限が掛かるもどかしさを感じる。誰もが所有可能なモノではなく、自分の身体を通じて私らしさを主張したい欲望が、今にも溢れ出そうだった。
当時流行していた「サラサラ黒髪ストレートセミロング」で集団に同質化したいという気持ちと、それでも自己主張をしたい欲望が混ざって葛藤を繰り返す。変わりたいという気持ちなのか、自己を主張したいのか、内在にある本当の自分を外に向けて発信したいのか、はたまた全ての欲望がかき混ぜられて形となって現れたのかはわからない。
バッサリ、ボブに「個性的でいいんじゃない」
天然パーマが嫌で気づかれないように縮毛矯正。所属していた集団のみんなが憧れる髪型に一歩でも近づくように、「サラサラ黒髪ストレートセミロング」と努力して維持していた髪の毛を、耳あたりの短いボブにバッサリ切った。当時流行していたアイドルのように作っていた前髪は、変わって眉上にアシンメトリーにして存在。まるでキノコのような髪型。今まで同じような髪型をしていた「サラサラ黒髪ストレートセミロング」の友人たちは、声を揃えて「個性的でいいんじゃない」と言葉をくれた。
自己を主張したいという欲望を通じて髪を変えたのに、違和感が残る。同じカテゴリーの人ではない、と認識された気分になって少し捻くれた。彼女らは栗色の髪を持つ友人に「髪綺麗ね」と言葉を投げつける時、「あなたはみんなとは違うよね」と裏の言葉が存在しているかのように思えた。
自己を主張したい願望に愚直に向き合ったが、集団生活における同質化が求められる現実には不釣り合いだった。承認欲求が膨れ上がった結果だった。
私のボブヘアは、すぐに髪の毛を伸ばして元の「サラサラ黒髪ストレートセミロング」へと戻った。彼女達は「こっちの方がカワイイ」と話した。初めて行った自分の身体を通じての自己表現は、気持ち悪いものだった。同質化へ少しばかりの反発でしか形が残らなかった。しかも不発として。
「自分のために」と加工した髪だったけど
高校卒業した翌日、美容院へ駆け込んだ。茶髪ベースで赤色のメッシュを入れる。生まれて初めて染髪した色は、多くの人が染めるような髪色ではない。気分が良かった。就職活動になったら、再び同質化を求められるのかもしれないけれど、自己の表現をありのまま主張できる環境になった。これから自分をどう表現していこうかとワクワクした。
今まで縛り付けられて存在していたアイデンティティーが解放される。同質化が嫌だとか、自己を主張をしたいだとか、それでも他人からの評価が気になるだとか、かき混ぜにされた気持ち悪い欲望を抱えて生きてきた。本当にやりたいことが出来てからは、複雑で汚い欲望さえ愛おしくなれた。制限された自己ではなく、自分の身体を通じて私らしさを主張するのは心地よい。
髪を変形させることや染色することで、自己のアイデンティティーの維持が出来る。髪の変形を行うことは、自己表現の一つ。
私はなりたい自分を表した結果に続いて、他人に受け入れられてることを渇望していたのだ。「自分のために」と加工した髪が、他人に認められることで完結するのは辛い。
ありのままの自分を更新させる。他者からの評価や結果を求めるのではなく、好きな自分であろうとする気持ちを自分で満たしたい。自分の身体を通じて私らしさを主張することは美しいことだ。