私には、7年間コンプレックスがある。

初めて私の顔にニキビができたのは、私が小学4年生の頃だった。その時は、1つ顔にぽつっとできただけで大して気にも留めなかったし、母に言われるまでニキビというのも分からなかった。初めて使った洗顔料と化粧水は、私の叔母からのプレゼントだった。緑色のパッケージの洗顔料に泡だてネット、それから緑色のパッケージの化粧水だ。初めて使う化粧品にとても新鮮な気持ちを覚えた。

だが、小学5年生に上がる前、小さな二キビが自分の顔に増えたのがわかった。ちょうどその頃、友達もニキビに悩んでいて、皮膚科でニキビを針で潰してもらい泣いたという話をしていた。その子は、ニキビについてすごくオープンに話せていたが、私は、母以外にニキビについて悩んでいることを打ち明けなかった。その頃から鏡を見る回数も増えていった。

小学6年生に上がり顔に大きい膿を持ったニキビがたくさんできるようになった。その頃、私は、ニキビを隠すためにクラアラシルという肌色のクリームを塗るようになった。登校中に同級生の男子と話していると、小学1年生の男の子に、なんで、そんなに肌がぼつぼつしてるのと不思議がられた。その同級生の男子も「なんでだろうね」と笑っていた。また、運動会の準備では、同級生の女の子と数人で話していると、そのうちの1人が自分の肌についての悩みについて打ち明けようという話題を持ち出した。私の番が回ってきた時、1人の子が、「私の悩みは、ニキビじゃない」と言ってその空間がしらけた。正直、前から空気が読めない子だとは思っていたが、かなり傷ついた。私のニキビは黒ニキビなどさまざまな種類があったり、ニキビの跡の毛穴の開きもあった。

ファンデーションをして学校に行くようになった

中学1年生に上がり、ニキビはあまりできなくなった。授業で同じ学習グループの男子が、そのグループで恋話をしている時に、私のことを見て「普通に良くない?」と言った。見た目のことなのか、性格のことなのかはわからないが、評価された気分になって嬉しかった。

中学2年生になったある時、友達が私の腕を引っ張った時に、すごく驚いた顔で「なんでこんなすべすべなの」と言い驚いていた。また、「肌白すぎ。羨ましい」と言われた。だが、ニキビは治る増えるの繰り返しでずっとないことなんてなかった。私は、ニキビをつぶしてしまうこともあった。すると2年生の終わり、毛穴がすごく目立つようになった。

中学3年生から、私は、ファンデーションをして学校に行くようになった。しかし、目立たないようにしようとすると、どんどん厚塗りになっていた。すると友達に「ファンデーションしてるみたい」と言われたり、男子に「メイク濃い」と言われたりした。学校にしていくものではないと思っていたが、とても悩んでいたので欠かせなかった。

夏休みの終わり、私は初めて受験生としての自覚を持った。その焦りから私はファンデーションを塗るのをやめた。そして、肌を隠そうと毎日マスクをした。この時の1番苦痛だったのは、給食の時間だった。男子が私のマスクを取った顔を見てにやにやしていて、それを見て笑う子も多かった。クラスで「ニキビができた」って言う子がいても1つくらいで騒ぐなって思ったし、友達の美白への憧れの話も聞きたくなかった。

もっと肌が綺麗だったらとか、普通の肌になりたいと思った

高校に入ると、私を可愛いと褒めてくれる友達に会った。私は、その子が大好きだった。高校に入ってからも私は化粧下地なしではコンビニでさえ出掛けたくなかった。マスクも夏以外はしていた。階段を上がっていて知らない子たちからファンデーションと呼ばれ追いかけられることや、夏に自転車を漕いでいてすれ違う時に二度見されることもあった。また、クラスの男子が女子の顔をランクづけしていて、私のことをマスクを外すと毛穴目立つと言っていたこともあった。その度に、もっと肌が綺麗だったらとか、普通の肌になりたいと思った。

だけど、ある時、私は、これまで感じたことのない悲しみを味わった。それは、海外に留学したことで感じたコミュニケーションの不自由による今まで感じたことのない大きなストレスや疎外感だ。留学に行く前は、正直、楽しみしかなかった。しかし、実際に生活してみると、英語が話せないことで自分に自信が持てなかったり、せっかくできた友達ともまともに英語で会話をすることが出来なかった。英語を話せないことで、障害を持った感覚だった。肌云々の問題よりも、今まで憧れてきた海外生活を実際に経験してみて、自分自身がなんだか場違いだと感じたことは、とても苦い経験だった。

肌の悩みは、自分にとって決して小さな悩みではないけれど、その時は自分がそれまで想像もしていなかった問題に直面し、「これからの人生何が起こるかわからない、これから生きていけるのだろうか」と思ったりもした。

問題はニキビに対する自分の捉え方である

この肌は一生このままかもしれない。ニキビをつぶすからそうなったと思う人がいるかもしれないけど、そう言うあなたはそんなにニキビが大量にできたのか疑問に思う。ニキビがあるかないか、毛穴があるかないか、肌荒れしているかどうかでその人の価値が決まるものではない。

問題はそれに対する自分の捉え方である。自分に対する自信のなさである。どれだけ自分のことを認められるかだと思う。ニキビや肌荒れは評価されるものではない。でも、それのせいにすることはない。ニキビ以外でも、どんな環境にいても、誰かそばにいてくれる人がいること自体が幸せで、その人の幸せを心から願える人になりたい。いなかったとしても自分で自分を責めたり、変われるかわからないことを何度も悩むのではなく、それを含め、自分は自分である。
だから、自分だけは自分の味方でいてあげたいと思う。