私はこの1年、“戦う”をテーマに生きていこうと思います!
初っ端から挑戦的なワードを出してみたけど、今年はオリンピックが開催される。
東京事変もついに再生した。私もこの雰囲気に乗って、どんどん攻めていきたい気持ちになっている。
では私は“何”と戦おうとしているのか。頭の中を整理してみると2つ出てきた。
“自分”と全力で戦う
今年は自分に厳しめに、“もう1歩踏み込む”ことを意識しようと思う。
メインターゲットは仕事。
“こんなものかな”からもう1歩踏み込んで「やり切った!!」と言えるまでは頑張り抜こうと思う。
去年の11月に転職し、新しい職場になった。
面接のときに「うちは忙しいよ?」と言われたけど、前職もそれなりに忙しい環境で働いていた自負があった。「慣れているんで、大丈夫です!」とそのときはこなせる自信があった。
しかし、いざ入社してみると、前職よりスケジュールがタイトな案件が多く、そのスピード感になかなかついていけない現実があった。
時間が迫る。
気持ちが焦る。
ミスが増える……。
会社としては“役に立つだろう”と判断をして私を採用したはず。でも、役に立っている実感がない。むしろ迷惑かけてない……?
先輩にフィードバックをもらうたびに「すいません」が増えていく。
「気にしなくていいよ。まだ入って2ヶ月やん」とフォローが入る。
このフォローはいつまで有効なんだろう……?もう不安しかない。
でも、うじうじしてる時間もない。もう私は新卒でもない。社会人5年目だ。
今はとにかく頑張るしかない。私が書いた原稿と先輩の朱書きを見比べる。ボキャブラリーや言葉のリズムが違うことにハッとする。ショックを受けつつ、自分のモノにする。
しばらくはこういう、“種まき”のような時期を過ごしていかなくちゃいけないと思う。
今年はそういう踏ん張り時な気がする。
こうやって考えてみると、“自分と戦う”って“妥協しない”にも言い換えられると思う。あまりにもありきたりだけど、この積み重ねが力になるし、過去にも粘ったからこそ結果が出た経験はいくつもある。今年は公言してでも、自分と戦って切磋琢磨していこうと思う。
“嫉妬”としなやかに戦う
昨年、前職と転職先に入社するまでの10日間の空白期間中、ライティングセミナーや、“より良いアイデアを出すコツ”みたいなイベントに参加していたら、面白い人との出会いがたくさんあった。FacebookなどのSNSでつながり、数ヶ月前よりもタイムラインが賑やかになった。
彼らの多くはフリーランスで活動していて、日々の活動がSNSで発信されていた。
「今日は○○さんはこんなイベントをしているのか」「あ、△△さんからイベントの招待がきた。でも、平日かぁ。行けるかなぁ……」
スクロールする度に、なぜかお腹の底の方から重いどろっとした何かが湧き上がってきた。
私はこれを知っている。
“嫉妬”だ。
なぜか、その人たちが羨ましくて仕方ないのだ。
私だって転職して好きな仕事に就いた。大きな不満も特にないし、楽しく働いている。
それなのに、なんでこんな感情が出てくるんだろう。
そういえば、ブロガーであり作家のはあちゅうさんはこのようなことを言っていた。
私にも、誰かに嫉妬してしまう時はあります。自分が終わらない原稿を書いている時や夜のふとした時間に、誰かの輝かしい成功や面白そうな瞬間を見ると自分だけが頑張っているのに報われなくて、人生を損しているような気になってしまう。 でも嫉妬の中には「本当は自分がそうなりたい」という憧れがあるのだと思います。 だから、ダークサイドに流れそうな自分を力わざで元に戻して「私、あの人に憧れているんだ。つまり好きなんだ」と思うようにしているんです。
『「自分」を仕事にする生き方』( はあちゅう/幻冬舎)
どうやら、私は憧れを感じているようだ。
企業に所属せずに、自分の名前で仕事をしている彼らに。
正直にいうと、私にはまだその勇気がないから。
そんな私が、できることなら彼らと一緒になにかしたいと思っているようだ。
ただ、その“なにか”がまだはっきりとしない。だから自分から声を出せずに、嫉妬してもやもやしている気がする。
私はどうすればいいのだろう?
これもはあちゅうさんの本に書いていた。
その人を、見ないようにしようと思ってもどうしても追いかけ続けてしまい、いよいよその人の活躍のステージが上がっていることを知った私は、これ以上嫉妬していても自分が苦しくなるだけだと思って、思い切ってその人にファンとしてメッセージを送ってみました。
『「自分」を仕事にする生き方』( はあちゅう/幻冬舎)
ファンとして、コンタクトを取ってみる。
たしかにファンとしてなら気後れすることなく、話したいことが話せる気がする。
「なにか一緒にできることがあればやりたい」と口にできる気がする。
嫉妬という感情は黒くてどろっとしていて、自覚した瞬間の罪悪感とか虚しさ、その人を嫌ってしまいそうになるのは、いつになっても慣れない。
今年はこんな感情にも向き合って、良い方向に昇華させてあげたい。
その昇華の方法が、文章だったり、イベントだったり、なにか目に見えるカタチになって世の中に出せたらもっと良いなと思う。
以上が、私の2020年の宣言。
とはいえ、24時間366日(今年は閏年)を戦い続けるとどこかで息切れする未来しか見えないから、一緒に“上手な休み方”も覚えていきたいと思う。
年末、この記事を見返したときどんな気持ちになるのか。
「宣言通り、戦い抜いたで!」と言えるように、今日も私は戦っていく。