なんの被害者であれ、「被害者」でいられる期限は短い。
学力や声、好きなもの、体型、挙動、すべてがいじめの材料だった
私は打ち明けた人が引く程、高校生のころに猛烈ないじめの被害に遭っていた。
いじめの相手は中学生からの顔見知りからで、出会ったころから何かと私に関することでその場を笑かすタイプの人だった。中学は別だったが、武勇伝のように語られる「悪さ」の話の中には私だったら耐えきれない暴力的なものがたくさんあった。(1番引いたのは異性の友達?かクラスメイトをトイレに閉じ込めたエピソード)
自分を含め周りが笑えれば突き飛ばしてくるし、見た目のことをとことん馬鹿にしてくるし、学力や声、好きなもの、体型、挙動、すべてがいじめの材料だった。
教師には「強くなってほしい」とのことで知っているのに見て見ぬふりをされた。親は「悔しいならやり返せばいい」と鼓舞してきた。ほかの同級生も誰も止めず、むしろ加勢してくる人ばかりだった。親族の中には「どうして何も悪くないあなたがそんな目に…」と涙してくれている人たちも居たが、住んでいる物理的な距離が遠く、お互い干渉すらできなかった。実は思ってくれていた、という事実は今でこそ私の心を穏やかに暖めてくれるが、あの頃の私は本当に世界で1人と感じていた。
その一方で子が子なら親は親、という言葉の通りに私の親に対し加害者の親がいびってくる、という話を親自身から話された時「どんなに辛くてもここで私が命を断ち、母を1人にしてはいけない」という気持ちだけで生き延びた感情も思い出した。
私へのいじめが更に酷くならないように、と我慢してくれている母の表情を見て、私は1人ではないと感じながらも我慢ではなく一緒に怒りを表明し、抵抗してほしいのに…助けてほしいのに、と孤独を感じていたことを思い出した。
ストレスで眉毛やまつ毛、髪の毛を抜かないと落ち着いていられなくなり、いくら食べても太れず顔はいつでもこけていて、クラスの担任には「最近笑顔を見ていない」と心配された。
体罰のアンケートにも名指しで書かれた。
さらに同級生の仲のいいと思っていた異性からくすぐられるちょっかいをだされ、ふざけ合っていたと思ったら馬乗りされ体をまさぐられた。
虐めてきた人たちには笑いのネタにされ、教師からは「お前も悪い」と釘を刺された。
結局彼は転校した。好奇の目で見られたあのたくさんの目と居心地の悪さは一生忘れないだろう。私が転校して逃げ出したかった。
私は謝られてもいないし許してもいない
今も記憶に色濃く残り、夢に出てきてフラッシュバックし人の人生を大きく狂わせる出来事であったとしても、自分の中で整理するために、フラバして苦しい時にもらすときでも「いつまで言ってるの?」「まだ引きずってるの?」「しつこい」「そんなに悔しいなら当時しっかりやり返せば良かった」「苦労した分成長できる」「○○の方が酷かった」という言葉を身内関係なく投げかけられる。
もっと酷いと「虐められる側にも原因はある」論をかざしてくる人もいる。
大学生の頃、相手に打ち明けてすらいないものの虐めの話になり「でも虐められる方も何らかの原因はあるしね〜」「やられる方もやられる方」と言い放った同級生の言葉に開いた口が塞がらなかった。
一体どこまで泣いて苦しむ方に責任転換して気持ちよく生きていけばお前らは気が済むのだ、とその日の夜は泣き続けて眠れなかった。
どうやらその当時は同情されても少し期間が経つと乗り越えて強くなってなければならないらしく、私はいつまでもウジウジネチネチと過去をほじくり返す存在らしい。
私は謝られてもいないし許してもいないし、いまだに苦しめられているのにそんなことを言われるのかと 20歳ごろはよく枕を濡らしていた。
だけどそんなすぐに乗り越えられる人ばかりなら、身内を亡くそうがいじめられようが何されようが、この世はもっとキラキラと希望に満ち溢れているだろう。
「いつまで」「しつこい」「まだ」の言葉の中には「さっさと忘れて乗り越えろ」という強制の思いが隠されている。
苦しいことを抱え続けて生き抜いてることだけで賛美に値すると思う
乗り越えられてない・強くなれてない・許せてないからといって私たちは何も悪くないし、それは急かされるものでも強制されるものでもない。出来損ないでも悪いことでもない。
苦しいことがあったのに、それを抱え続けて生き抜いてることだけで賛美に値すると思う。もちろん、乗り越えてそれを強みに変えてる人も賛美に値すると思う。私には一生できないと思う。凄い。
誰かが何かの加害者・被害者になる社会で上記の無責任な言葉を投げかけられたら中指を立てて生きてほしい。
この世からいろんな被害者が1人でも減りますように。
無責任な言葉を投げかける心ない人が減りますように。
人が人を思いやり、傷つき合うことがなくなりますように。
自分を許し、愛せる人が1人でも増えますように。