自分に「カワイイ」は求めていない。「カッコイイ」が欲しい。
愛されれば引いてしまう。けれど愛してほしい。
私は常に矛盾していて、自分で自分がどうなれば許せるのか未だにわかっていない。

気まぐれに文章でものを表現していることがある。
文章でものを表現する時、リアリティのある描写をするには「経験」から持ってくるのが一番早いと思う。

学生時代にも、成人した後にも、私は「恋愛」というものに縁が一切なかった。非モテ女だった。
幸か不幸か、セックスの経験もない。
その辺りの知識が、私には壊滅的に欠如している。

ざっくり言うと「話のネタにしたい」。
それだけの理由で、私はマッチングアプリで偶然出会った人に処女を捧げた。

体験に関して「微妙」という判定を下せた事自体に価値がある

基本的にコミュニケーションが苦手で、行動の始まりも遅い私だが、その時の行動は早かった。
親は風俗など「その手のもの」をひどく嫌っている。私が素性もよく知らない男に体を明け渡そうとしているのがバレれば止められるのは必至。
適当な理由をつけて家を出て、待ち合わせのラブホテルまで行き着けた。

それからすったもんだやったわけだが。
単純に、彼とのセックスは何も面白みがなかった。
相手の人柄は悪くなかったが、何もかもが独りよがり。
私がベッドボードに頭をガンガンぶつけているのに腰を止めない男だった。
こっちが満足しているのかなど確認しない。表面上の態度だけはよかったが、そういうところがなんだかモヤモヤする人間。

彼は私の顔や体つきを褒めてくれたが、自分の性自認も曖昧な私にはそれを素直に褒め言葉とは取れなかった。

「経験」としての価値も微妙なところがある。
この男性との話を友人にした時「上手い人はもっと上手いよ!?」と驚かれてしまった。
痛みと微妙な気持ちしか残らなかったこの経験、完全に失敗とは言えないが創作物に活かすにはパンチが足りない。

なんというか、全てにおいて微妙。
けれど体験に関して「微妙」という判定を下せた事自体に価値があると思っているので、適当な相手で処女を捨てたことになんの後悔もない。
むしろ、自分の価値観や性への認識を理解し直せたという点では、後悔とは程遠いところに感情があると思う。

一通り終えて思ったのは「ああ、別に何も変わらなかったな」

処女を卒業したからといって何が変わるわけでもなかった。
むしろ、自分の冷淡さが余計に浮き彫りになったようにも思える。

「もう一度」とせがむ相手の連絡先を、私は躊躇なくブロックした。
そこに何の迷いもなくて、単純に自分がもう嫌になったからブロックしたのだ。
相手は(セックスフレンド的な関係ではあれど)まだ私に好意があったのに、私はそれを受け入れられなかったのだ。
そういうところに、自分の「愛されるのが怖い」「相手からグイグイ来られると引いてしまう」という自分の本性が現れているな、と思う。

一通り終えて思ったのは「ああ、別に何も変わらなかったな」ということだ。
自分を見つめ直した。でもそれだけで、何も好転も悪化もしなかった。

漫画や小説では、セックスというのはかなり過度な演出を施されている。
私もそれに騙され、ありもしない夢を見ていた世間知らずの女だったということだ。

何かが劇的に変化したわけではない。
けれど「今までわからなかった感覚」が埋まったことは進歩ではないだろうか、と思う。