リトルマーメイドのアリエルに憧れて、赤毛にした。わたしはこの髪色を「ルビーレッド」と名付けるほど、お気に入りのカラーだ。髪色は今までもコロコロ変えるし、会社に規制がないので「今日は何を着ようかな?」くらいの軽い気持ちでカラーリングする。

ただ、わたしを苦痛にさせるのは、髪型が似合うか似合わないか勝手に評価してくる人たち。それが良い評価でも悪い評価でも、「何様?」と思ってしまうわたしは、褒められ慣れていないさみしくてかわいそうな人間なのだろうか。

自分のものさしで人の見た目の良し悪しを判断して、かなり不快

ある人が「きもい。いつもと違ってぞわってする」って言ってきた。なんでそんな言葉をわざわざかけてきたのか、考えても考えてもわからない。きもいならわたしのこと見なきゃ良い。あなたが想定しているわたしがどのような姿が知らないが、誰かのためにこの髪型にしたつもりはない。傷つきそうになるけど、この人おじさんだったので「ジジィに理解できないハイセンスなヘアスタイルしているおしゃれなわたし」と意訳する。

悪口を言われてナイーブになるっていう構造はわかりやすいけど、意外とひっかかるのが心優しく気を遣って「似合っている」だの、「雰囲気に合ってる」と言ってくれている人。わたしが喜ぶと思って「かけて嬉しい言葉」を伝えているのかもしれない。でも、わたし以外の誰かのためにこの髪型にしたつもりはなく、「何様なんだろう」と思ってしまう。自分のものさしで人の見た目の良し悪しを判断して、偉そうで、かなり不快。褒められたら素直に喜んだらいいのに……わたしめんどくさいな。

自分の正解は他の誰かにとっては不正解かもしれない

コンプレックスを刺激するようなルッキズムは、どうしても悪口にフォーカスがあたりがちだけど、良かれと思って発した言葉に対してもときに苦痛が伴う。わたしはルッキズムからなかなか抜け出せていないけど、様々な人が存在するこの世界では、誰かのことを想うためにはもう少し想像力を働かせてコミュニケーションをとらないといけないなと、わたし自身も反省した。自分の正解は他の誰かにとっては不正解かもしれないのだ。

だからこそ、わたしのためにこの髪色にしたわたしを愛したい。まわりに何を言われようと人の言葉にメンタルを左右されないように、自分にとって何が良くて、何が悪いのかといった自分の軸をしっかりと見つめていたい。誰にどんな言葉をかけられても「自分は自分である」ことに誇りをもたないと、まじでやっていけない。あなたの味方はあなた自身ってやつ。

自分を好きだったことがないわたしにとって、これは人生の課題とも言える。恋人の魅力はすぐわかるみたいな感覚で、もう少し優しい目で自分を見つめることからまずは始めてみようかな。心地よいやわらかい肌、まるいほっぺ、ピンクとラメが好きなゴージャスな感性、アニマル柄を気軽に身につけちゃうタフさ・・・なんだ、わたしって案外、素敵じゃないか。