「可愛くないのに勉強も出来ないなんて、もうあなた、人生終わってるよ」

そうやって、鏡の前の自分に言い聞かせると、勉強が出来た。どんなにやる気がないときでも、どんなに模試でE判定を取って落ちこんでも、今日は疲れ果ててこれ以上勉強できないと思った夜も。なぜなら、この言葉、すごく自分に突き刺さって追い詰めることが出来たから。鏡を見て、自分はこんな顔で一生生きていかないといけないんだと再確認することは、そのたびに死にたくなるようなことだった。

可愛くない私は、女子率の低い有利な場でモテるしかないと思った

私は可愛くないから、女子大に行くなんていう選択肢はない。もし東大に落ちたら、慶應や早稲田にうじゃうじゃといるらしいかわいい女の子たちに揉まれながら生きていかないといけないなんて、死んだも同然だわ。
そう思っていた。というか、そうやって言い聞かせるのがいちばん勉強のモチベーションをあげることだった。だれにでも受験期のモチベーションをあげる方法はあったでしょう。

聞かれたことはないけれどさ、
「東大生のあなたにお聞きします。受験期勉強のやる気がなくなることもあると思いますが、そのときどのようにモチベーションを保っていたか教えていただけますか?」
と赤門の前でインタビューされたら、
「賢くて魅力的な東大の男と付き合いたい!でもそのためには、可愛くない私には、女子率の低い東大に入って有利な場でモテるしかないと思ってがんばりました」
と、きっと答えるわ。
私のやり方、間違っていますか?

ほんとうは、可愛いから好きって言って欲しい

大学に入って、好きな人が何人かできた。高校時代はできたことのなかった彼氏も出来た。だけど、可愛くないというコンプレックスは、そんな簡単になくなったりはしない。

「そういう考え方するところ、ほんと好き」

私のことを好きになってくれる男の人は、大体こういう風に褒めてくれる。
うん、知ってるよ。私、他の女の子より賢いし、それに一人の時間が多いからいろんなこと考えてる。ありがとう。でも、そんな言葉すら、胸にわずらわしく残る。ほんとうは、可愛いから好きって言って欲しい。一緒にいて楽しいから好きよりも、面白いから好きよりも、話が合うから好きよりも、「可愛いね、好き」って言って欲しい。それなのに、
「君よりも可愛い子は正直たくさんいるけど、話が合うのは君なんだよなあ」
って言ったりするんだよ、あなたは。私だってあなたと一緒にいるの、すごく心地がいいけどさ。なんもわかってないじゃない。そう思ってしまう。
私の嫉妬、間違っていますか?

「私は私」だからと言って、人と比べることをやめようとは思わない

右隣の人は「恋人でも、友人でも、家族でも、それとも私自身でも、誰か一人にでも自分のことを認めてくれる人に出会えればそれでいいじゃないの」と言う。左隣の人は「あなたはあなたよ、そのままでいいじゃないの」と言う。

でも私は、そんなのは何の慰めにもならないと思う。だってできれば、一人だけじゃなくて多くの人に認められたい。「私は私」って言ったって、「私というもの」はいったいどこからどこまでなの、誰かの影響を全く受けないなんて無理じゃないのよ。本当の私なんて、私含めて誰も知らないくせに。

私のコンプレックスは誰かに救われたわけでもないし、消えたわけでもない。だけど、コンプレックスがあったから、傷ついた心があったから、生まれた強さがある。賢さだって、もちろん私の強みの一つだし、「可愛い子に負けて」失恋して苦しいときに生み出した文章は私に新しい出会いをもたらしてくれた。

「私は私」だからと言って私は、人と自分を比べることをやめようとは思わない。人と比べて劣ってる部分に傷ついて、勝ってる部分に鼻を高くしながら、私を形成していっているということを認めることしか出来ない。
私のわがまま、間違っていますか?

みんなと同じ価値観なんてのもつまらないと思う

「私は私」っていうのは、ただ単に周りのことを考えずに自分の好き勝手に過ごしたり、人とは違う自分に酔いしれたりすることではない。果てしなく続く周りの人の目線と、そして捉えきれないけれど確かにそこにいる自分の姿を見くらべて、悩んで考えて到達した思想や発言だからこそ、それについて何かを言われたとしても、堂々としていられるってことだと思う。
周りに流されただけで出した意見について、批判されることはそりゃあ怖いだろう。だって、その批判だって周りの意見なんだもの。周りの意見を咀嚼せずに飲み込み続けるほど不安定で余裕がなくなることはない。

「可愛い」というものは、かなり周りの影響を強く受けてしまうモノなんだと思う。哲学的な思想とか、絵に対する感想とかよりもずっと、人と「可愛い」の価値観が異なることは、生きづらい。例えば、雑誌のなかのモデル、舞台の上のアイドル、男友達の自慢の彼女。みんな少し似ている。
だけどさ、みんなと同じ価値観なんてのもつまらないと思うのよ。私はそこら辺の子とはちょっと違うのよって思いながら、すまして歩いているくらいの人がいちばん気持ちよさそうなんだよ。だから、

私の意見、誰かにとっては間違ったものであっても良いですよ。