私はピアノが嫌いだった。

弾いてて楽しいと思ったことはなかったし、練習が苦痛でたまらなかった。
元々は、お母さんが子どもの頃習えなくて、女の子が生まれたらやらせたかったらしい。それで体験教室に連れて行かれた。

やってみて、楽しいとかは特に思わなかったんだけど、お母さんが「どう?習いたい?」とキラキラした目でこっちを見たから、「やりたい」と答えた。
結局、ずっとやめたかったけれど、小学1年生から中学3年生までの9年間続けた。

ピアノより空手が好き。でもそれは、男の子じゃないとだめ?

お母さんとは、マブダチって言えるくらい本当仲がいい。今でこそ、あれはしたいこれはしたくないって言える。それはお母さんは、私が生きたいように生きてるのが一番嬉しいって思っててくれているんだってわかったからだ。でも小さい時は、そんなこと知らなかったから、大好きなお母さんが喜ぶためなら、嫌いなピアノだって続けてみせた。

一方で弟は、親から空手を始めるよう提案され、体験に行くことになった。「私も行きたい!」身体を動かすのが大好きだった私は、そう言った。そうして、弟と一緒に体験に行くことが決まった。空手はピアノよりも私にしっくりきて、同じタイミングで入った男子よりもずっと早く昇級審査に合格したし、組手だって男の子に負けなかった。

ある時、空手の大会で3位をとった。嬉々として担任の先生に報告しに行った時に、「まあすごい。男の子に生まれたらよかったのにねえ」と言われた。その時私は、?と思った。女の子で空手が好きじゃダメなんだろうか。私は男に生まれた方がよかったんだろうか。そういえば、空手は私が行きたいって言うまで、弟だけの予定だったし、ピアノを弟が習うなんて話は出たことがなかった。ちなみに水泳は最初から一緒に習ってた。

女の子だから、女の子らしく。周囲の期待を当たり前に受け入れた

そこから、幼心にして、これは男の子、これは女の子、これはどっちでもいける、と物事に対して見るようになった。それから、空手をしているのが恥ずかしくなり、以前よりピアノは少し頑張るようになり、休み時間に誰よりも早く運動場に駆け出してドッチボールをしていた私は、教室で友達と絵を書くようになった。

それに苦痛を感じていたわけでも、特別おかしいと思ったことはない。ただ、そういうものだと思っていただけ。事実として、この世の真理として(もちろんその頃はそんなムズカシイ言葉しらなかったけど)、そうあるものだと。ああ、今までは私が間違っていたんだ、もっとお洋服に気を使ったり、ウルトラマンよりはプリキュアをみた方がいいのか。

いつの間にか、固定観念に囚われているのは自分自身だと気付いた

そうやって大人になった私が地元に帰ってびっくりしたのが、小学生のランドセルが色とりどりになっていたこと。私が小学生の頃は、男の子は黒、女の子は赤、ごくまれにピンクだった。それが今では、紺色のランドセルの女の子も、薄紫の男の子もいた。そうだね、好きは好きでいいよね。

びっくりした自分に気づいた時、気づかぬうちに、男の子は黒や青、女の子は赤やピンク、と思っている私がいるんだなと思った。自分にもし子どもができたら、好きなものを好きと言ってほしいし、やりたいことはやってほしい。でも、無意識に男の子は本当は◯◯だけど、その逆でもいいよね。と許容するような表現になってしまっているのがよくないんだろうなと思う。そういう自分や世の中に気づいて、嫌気がさした時期もあった。
だけど、お嫁にいっていない25歳以上の女性をクリスマスケーキだと思っていた時代もあったわけだし、最初は小さな許容だとしても、いつか時代が変わるかもしれない。だから最初は、◯◯でもいいよね!そんな小さな尊重が、いつか大きな変化を生むこともきっとあるんだ。

小さな頃の、ピアノよりも空手が好きだった私へ。そのままでもいいんだよ、頑張れ!