異性を好き=恋なのか

私は24年間、恋をしたことがない。
友人といわゆる恋バナになっても、私にはいつもネタが無く、もっぱら聞き役だ。なぜ恋しないのかと尋ねられるたび、その理由を自問自答してみたりもした。父親が暴力をふるう人だったから、高圧的な男性には苦手意識がある。中学生の時、男子にいじめられたから、それがトラウマなのかもしれない。でも、どれもピンとくる理由ではない。恋には人並みに憧れはあるので、”本気で好きになれる人に出会わなかった。"きっと、ただそれだけなのだと思う。

その人への好きという感情をカテゴライズされたくない

そんな私にも、すごく好きな男友達がいる。人見知りのはずの私が、初対面の時から妙に打ち解け、素が出せた。とにかく、その人といるとしっくりくる。気が付いたらその人のことを考えているし、いつも会いたいという思いに駆られる。そんなことを友人に話したら、24年間何もなかった私に春が来たと、盛大にはやしたてられた。

「まだ恋なのか、人として好きなだけなのかわからない」そんな相談をすると、「そんなこと考えてる時点で恋してるんだよ」「恋は気が付いたら始まってるものだよ」という反応が返ってくる。でもやっぱり私は、恋という言葉に、腑に落ちないものを感じていた。

ある友人に、
「その人に触れたい?」
「キスしたい?」
「その人が誰と一緒にいると嫉妬する?」
そんなことを聞かれた。しばらく逡巡したが、答えは全て「NO」だ。正直その人が誰かと付き合っても、私は何も思わないだろう。

そう、やはりこの思いは恋ではない。皆、好きな異性がいると言えば、恋しているというストーリーに当てはめようとする。でも、その人への好きという感情をカテゴライズされたくないし、異性であるというだけで、特別に好き=恋、というのは、短絡的ではないかと思う。

異性との関係性は「恋か、友情その他か」の二つなのか

振り返ってみれば、異性との関係性を、「恋か、友情その他か」に分類しようとする圧力を、強く感じてきた。恋なら全力でその関係を深めようとし、その他なら雑多に扱う。そして、恋する異性以外には、不用意に近づいてはいけない。そんな暗黙なルールも。

異性との友情が成立するかという命題や、恋人以外と2人きりででかけるのを許せるかどうかなどもそうだ。恋人以外に、特別に好きな友人がいることが、まるで悪かのように扱われたりもする。

最近のCMでも、たまたま出会った男性に、お茶に行かないかと誘われ、「彼氏いるんで」と断るシーンが描かれている。それを見た時に私は違和感を覚えた。異性との交流は、付き合うという目的以外には許されないものなのか。

恋じゃなくても、異性でも、好きな人には好きと言って何が悪い

その男友達への、好き、という感情は、恋でもなければ、単なる友愛、とも少し色が違う。恋でないなら、友達として好きなだけ。そう、白黒ハッキリ付けられない、ニュートラルな感情なのだ。

男友達への好きという感情が、恋ではないとわかって、私は随分気が楽になった。恋しなければならないという強迫観念に、縛られていたと気づいたのだ。やはりわたしはその人がたまらなく好きだ。でもそれは恋愛対象としてではない。恋じゃなくても、誰かを特別に、深く好きになることだってあっていいのだろう。

恋ではないと気づいた日に、私は勢いで「めっちゃ好き」と、唐突なメッセージを送った。(その後相手からは「嬉しい」とだけ返信が来た。)いままでは、気があると思われたらどうしよう、そう思って言えなかった、「あなたが大好きです」というメッセージ。送ってから、なぜだかものすごくスッキリした。

よく告白のシーンで、「好きです」と言われた方が、「ごめんなさい」と返答するシーンを見る。よく考えれば変な話だ。「好き」という告白を、「付き合ってください、無理ならもう他人でいましょう」とでも脳内変換しているんだろうか。

そして別に、恋じゃなくても、異性でも、好きな人には好きと言って何が悪い。恋じゃなくても、あなたを深く愛している。ずっと一緒にいたい。そんな愛の形があっていいのではないかと、私は思う。

恋人だって、友人だって、それ以外だって、皆それぞれ大切な関係

恋人と友人という関係性の間にある優劣、格差にも、わたしは違和感を抱いている。「友達以上、恋人未満」、なんて言葉があるように、恋人というものを、無上の特別な関係に祭り上げて、友人より優先度が格段にあげられる。

そもそも私は、恋が人生の全てとでも言わんとする、恋愛至上主義には懐疑的だ。友人に彼氏ができると、会話が彼氏との話一色になり、プロフィール画像やSNSが恋人で埋め尽くされる様を幾度となく見てきた。そのたびに、何とも言えない違和感を感じてしまう。嫉妬なのではないかとも思ったが、それも違う。

もちろん、好きな人からの愛の言葉が、仕事の疲れを吹き飛ばすこと、好きな人の前で綺麗にいるために、あらゆる努力をすること、それらを否定するつもりはない。ただ、私は恋への期待値やモチベーションが人より低いのだと思う。恋を人生の中心に据えることは、きっと私にはないだろう。

恋人だって、友人だって、それ以外だって、「好き」や「大切」のベクトルが違うだけで、皆それぞれ特別で、大切な関係だとわたしは思う。

好きな人には好きという

恋は素晴らしいものだと思う。ただ同時に、誰かを好きになる気持ちを、カテゴライズされたくない思いもある。恋じゃなくても、特別な"好き"は存在する。

これからも私は、同性だろうと、異性だろうと、恋愛対象だろうとなかろうと、好きな人には好きと言う。どう受け取るかは相手が決めることだ。好きという言葉には、「あなたを恋愛対象として見ている」、「これ以上の関係になりたい」、なんて重たいメッセージが付属されているわけじゃ無い。好きな人とは、恋じゃなくたって、いたいだけ一緒にいたい。そのために、私は「あなたが好きです」と伝える。ただ真っ直ぐに。