2020年の年はじめ、わたしは大きい抱負と小さい抱負のふたつの抱負をたてた。
大きい抱負は、願いを目標にすることで、小さい抱負は、来年卒業という門出を迎えても、わたしの物語を綴り続けることができるように準備をすること。
わたしの願いは、食・農業という文化を通じて、多様な年代やセクシャリティの方が、命とふくし(ふだんの くらしの しあわせ)のつながりを共に学び考えることができる場所を地域につくること。小さな助け合いの和音が広がれば、自然と、地域と地域の方の心のなかにセーフティネットが生まれるのではないかと。
その願いは、わたしがずっと抱えていたコンプレックスから生まれたものだった。そのコンプレッそのとは、
「わたしは、本当のわたしのままでは誰からも愛されないし、生きていてはいけないのかもしれない。」
そんな論点から、叫ぶように生まれたつるたちが、涙と血を流しながら、だれのものなのかもわからない、どこからともなく現れるとげのその鋭さにおののきながら、誰をも寄せ付けないような、ごうごうとした音を響かせながら、絡まりあった、そんな葛藤だった。
コンプレックスから生まれた願い
「今のわたしではだめだ、もっとがんばらなくては、誰かを笑顔にできないし、しあわせにできないし、わたしが受け入れてもらえることもない。」
そんな葛藤を背負って、高校生のころには心と身体がぼろぼろだった。ごはんも食べることができなくなって、体重もかなり落ちていた。あの時、鏡で見たわたしの顏よりも、暗い表情の方にはお会いしたことがないほど、世間で用いられるコンプレックスという表現にも、顔をそむけられてしまいそうなほどの、葛藤の塊だった、わたしを、その葛藤を、暖めてくれたのは、食と農業という文化だった。
そして、その文化を創ってくださったのは、人間で、人で、いのちで、そのつながりだった。食と農業という文化が、「わたし」という物語を語り始めるための、暖かくて優しい勇気を育んでくれる力を、愛していきたい。それが、自分の存在自体をコンプレックスとみなすような日々のなかで、小さく誓った想いであり、あのときのわたしが希求していた今なのだと思う。
いつでも、だれでも、気軽に来れて、ご飯が食べれて、寝泊まりができて、勉強ができる場所。そんな、地域の人々の信頼で編み出された公共のあり方が、政府の方が提唱されている新しい公共のひとつのあり方になっていく可能性だってあるかもしれない。
でも、わたしの願いはわたしが描いている構想が広まることではなく、大切な人たちと大切な人たちの大切な人たちが、笑顔でしあわせに暮らしすことができることだ。そのために、みんなで一緒に学んだり、お料理をしたり、絵を描いたり、音楽を楽しんだり、文章を書いたりすること。そんな些細なきっかけをつくること。
だからこそ、わたし一人の力では叶えられないし、一人で叫んでいるだけではただの危ない人にしかならない。もっとたくさんの方と一緒に学ばせてもらいたい。
大学卒業という門出は、人生の分岐点のようなものだと思っていた。わたしにあった道を探すことが、大切なことなのだと思っていた。しかし、大人になるということは、きっとただひとつの道のスタートラインを切ることではなくて、たくさんの想いの詰まったバトンを握りしめて、たくさんの方々と道をつくっていく緩い決意の門灯を灯すことなのではないかと、最近は考える。
「夢」という言葉は、実は最近使えるようになった言葉だ
ここまで「願い」という言葉を何度も書かせてもらったけれど、はじめに書いたときには、そのほとんどの部分には「夢」という言葉を使っていた。
あるできごとがあってから、ずっと夢という言葉が使えなくて、最近使えるようになって嬉しくて使ってしまったのだけれど、やっぱり夢を見るのはどうも苦手らしい。「現実をみなさいよ」と、ここらの中のわたしが眉をしかめる。だけど、現実に囚われてしまいそうな今だけは、夢に願いを込めることを許してほしいな、なんて思ってしまう。そして、次の世代の天使ちゃんたちには、夢を見ることができる社会を伝えていきたいという淡い決意を抱いたりしている。
あるできごとというのは、誰かの夢と自分の夢を混同しながら混沌とした気持ちで自暴自棄のように夢を追って、体調を崩してたくさんの方に迷惑をかけてしまったときのことで、そのことを境に、「わたしは夢を見てはいけない人間なのだ。」と思うようになったことだ。それでも、願いを持てるようになったのは、先にも書かせていただいた、たくさんの方のおかげで、そして「夢」という言葉がつかえるようになったのは、noteさんというコミュニティで言葉を綴らせてもらうようになって、読ませてもらうようになったことがきっかけだった。自分の言葉で、それはきっと文章だけではなくて、文字を媒介したものだけではなくて、たとえば笑顔だけでも呼吸だけでも、一人にひとつしかない、その人しか持たない儚くてたおやかな物語を生きていくための、対話させてもらうための、表現することが持つ力を教えていただいたためだった。そして、かがみよががみさんというコミュニティに出会わせていただいたこと、唯一無二の葛藤の色彩に触れさせていただくなかで、夢を語り始めるための優しいきっかけをいただくことができた。そして、わたしの拙いエッセイについて、暖かく真摯なコメントをくださったそのお言葉から、感じたこともないような新しい世界と繋がりを教えていただいた。そんな奇跡のなかで、当たり前なんてないこの日々のなかで、守りたいものを教えていただいた今の積み重ねのなかで見れるようになったものだ。
わたしの夢は、きっときらきらはしていない、混沌とした色をしていると思う。それでも、あのときよりもずっと。涙があふれるほどに、哀しくてたまらないほどに美しく醜く見えてしまうこの世界の、正しい暖かさを紡いでいきたい。そんな淡い日々が、いつかわたしと、どなたかの心をあたためるものであってほしい。
そのためにも、願いを目標にするための学びと学び合いをたくさんさせてもらうこと、コンプレックスだらけだったわたしの物語を紡いでいくために文章を書き続けていくことを、今年の抱負として、気を引き締めるのは苦手なので、深呼吸をしたい。