ここ最近であるが、現実をあえて見なかった私は、ブスの私に目を向けようとしている。28歳を目前にしてである。
これまでは仕事ばかりで、空き時間に私の傍にいたのはSNSであった。自分が苦手とするお喋りも、打ち込むという動作はしやすかった。自分が嫌いな顔を見せることも、しなくて済んだ。
そして、私はその万人受けしない「なりきり」にハマっていた。何処かの作品の、定まったキャラクターを演じるという行為。見た目が好きでない私にとって、誰からも好かれるキャラクターを演じることは幸せだった。その中で疑似恋愛もした。
ちやほやされ、誰もが私と接してくれる。虚構の中でも、愛してくれる。その幸せな生活が続いた。
SNSにいる私は、本当の姿ではない
そのうち、疑似恋愛に発展した画面向こうの人(男性)と、直接会うのは承知の上で、二人ほど会った。
一人目はLINE電話で話したことがある人だ。声を聞いた瞬間に「イケメン」で、話す内容から「相手を思いやることのできる人」というイメージがあった。
実際は、アロハシャツを着たKONISHIKI。
中身は、大きくなった赤ちゃん。
イメージとのギャップに、私が無理だった。
二人目は話の合う年若い好青年だった。二回ほど会った。でも、私の心が無理だった。
画面上の相手は「好きだ」とか「大切にしたい」だとか、想ってくれたし、私も想った。でも、それは画面上でのことだ、と気づいた。
SNSにいるのは本当の姿ではない。本当の私は輝きもなく、可愛くもなく、大嫌いな存在なのだ。
そのSNSと実際の私の違いを認識してから、夜な夜な泣くようになった。演じるのが苦痛になってきたのだ。
そして、SNSから少し離れた。寂しい気もした。しかし、一般世間の恋愛や結婚に反抗してきた私がひどく惨めに見えていた。
そういうこともあり、現実の私を明るみにするため、CMで話題の楽天オーネットに登録した。また、街コンにも足を踏み出すことにしてみた。
どうあがいても、ブスが可愛い人に敵うわけがない
ここでも学んだのは、やはり顔で判断される、ということだ。
条件がいい人に「お話しませんか」と尋ねてみると、顔を見て判断され、「ごめんなさい」と返事がくる。
街コンには友達と行ってみたが、見向きもされない。友達がちやほやされる。一人で突撃すると、可愛い人に話が向かう。そして、皆若いし、可愛い。
すごく惨めになった。すさんだ。私はブスだ。性格もブスである。どうあがいても、ブスが可愛い人に敵うわけがない。
迷って動かないより、動いてみて挑戦することが自信に繋がる
卑屈になる私もいる一方、直すべき部分は多くあると前向きな私もいる。
動いて痩せる。メイク練習する。服装を考える。話す練習をする。表情明るくする。チャンスを逃さない。
万人受けしなくても、何処かに私を受け入れてくれる人はいると思う。実際、今の私は過去の私よりもまだマシだと思える。
迷って動かないより、動いてみて挑戦することが私にとって自信に繋がった。
実は最近、見込みがないと思っていた人にLINEのIDを渡してみたところ、「友達から!」ということでオッケーされた。
どうせ、知らないことだらけなのだ。迷うぐらいなら、経験を積んで誰かにおせっかいできるといい。
「私、実はこういう経験をしてさ」