私には元カレが2人いる。
正直なことを言うと、好きではなかった。
漫画や文学をお供に割とぼっちな青春時代を過ごしていたから、その世界での恋愛事情が当たり前だと信じて、中高生のうちに恋人の一人や二人を経験するのが当たり前で褒められたことだと思っていた。
というか、世間にはクリスマスや夏休みなどのイベントは恋人や憎からず思っている相手と過ごすのがステイタスだという風潮があったから、私もそれに乗っかって、無理にでもいいから従おうとしていた。
「交際経験」は手にしたけれど
私は多少人目をひく見た目をしていると思う。
背が148と一際小柄で童顔だから、ぱっと見幼く見えるし、つまるところ「簡単に手に入りそう」と支配欲を拗らせた人からしたらそう思うのだろう。
「守ってあげたい」と善人面しつつ本当は自分より弱い人を媒介に「自分すげえ」と思いたいだけの人によく好かれた。
だから、好きかどうかさえ気にしなければ、簡単に恋人ごっこの時間は手に入った。
それに、付き合ってる間に好きになれるかもしれないし。なれなかったけど。
正直あまり楽しくはなかった。でも「恋人がいた」というステイタス、私はそれが欲しかった。
かくして私は「交際経験」を手に入れた。
とりあえず人との交際経験があれば、私も枠から外れず、特別視されて浮くことはない。恋愛の話になった時会話の輪に入っていけるし、イケてる自分になれる。
そう思ってた。
けれど現実はそうじゃなかった事をのちに知った。
中高では、校内が全体的に男女の距離がやけに遠くて、異性交際に関して初心な人がほとんどだった。
大体の人が交際経験がなく、それに憧れを抱いていた。だから質を気にするまでもなく、交際経験の量だけで威張れた。
それに、そこが特殊だと思っていたから恋人がいた事で逆に浮いても気にならなかった。
だけど、高校を卒業してから2年くらいの経験を経て、「交際経験のある人って実はそこまで多くないのかな?」と思い始めることになる。
去年のクリスマス前、大学の同期ばかりをフォローしたインスタのストーリーで例えばだけど「イブなのにまだ彼氏いないってどゆこと?」「19年間できなかったものが一日で出来るだろうか?いやない」みたいなコメントが乱発していた。
内輪ノリかも知れないけれど、その内輪の中では共感の嵐。
今まで特殊だと思っていた周りに恋人が出来たことがない人が多い状況が「別によくあること」に変わった瞬間だった。
別に恋人がいないことは恥ずかしいことでもなんでもなかったのだ。
なんで私、焦ってたんだろう。
でもその一方で、恋人がいる事がステイタスじゃないかと言えば、やっぱりステイタスだった。
ただ思ってたのと違ったことは、本当に実際に好きな人と両思いになれて付き合った経験と、好きじゃなくても交際経験だけゲットした経験とじゃ天と地くらいの大きな差がある。という事だった。
元カレの数だけで威張れたのはとうに昔の話。
みんな次のステージに進んで、恋人の量よりも質の方が大事な注目事項になってくる。
それが分かって、急に虚無感に襲われてしまった。
あーあ、中途半端でくそダサイ。私何やってたんだろう。
自分の一部として大事にしよう
私は思った。
恋人って普通、相思相愛でなりますよね。それがスタンダードですよね。そうですよね。
……やっぱり、好きでもないのに交際経験だけあるって、邪道?
私は「人より多くの交際経験がある女の子→ビッチ」と思われるんだ、と感じていた。
それは、好きでもない元カレを量産したのは高校生の時のこと。下級生にまで私の交際の噂が尾ひれ付きまくりで行き渡っていて、同じ部活の後輩にそういうニュアンスの言葉を言われた事から。
当時は気にしてなかったけど、やっぱり悪いイメージの言葉だしその印象持たれてんだろうなと思う。
そんな経験から、人から良く思われない事が怖かった私は、過去に恋人がいたことや相手に素肌を見せたことがある事などを消極的に隠した。
複数人で恋バナが咲き乱れている場では口を閉じたし、かなり付き合いの長い込み入った仲の相手に直接聞かれない限りは話したことがなかった。事実上隠していた。
隠しながら、私は自分の過去や選択をいつの間にか恥ずべきことだと思っていた。
自分のことは自分で受け入れなくちゃ、ずっと、どうにもならないのに。
このエッセイを書きながら、今私はわざわざ社会の空気に合わせて本当の自分まで恥に思う必要なんてなかったんだ、と気が付いた。
そりゃあ確かに中途半端だったと自分で思うけどさ。そういう青臭い経験って、あるじゃん。
そうだよ、ビッチで何が悪い?
過去は変えられない。そして過去は自分の一部分だ。多分私は周囲とちょっと違うだろう、でも周りに合わせて卑下してたまるもんか。
大事にする。