「彼氏と将来の話をしてたら、できれば専業主婦になってほしいって言われた」

私が女性の友だちに言われて、正直その彼氏にドン引きしてしまった。
友人は大学卒業後、仕事を頑張りたいタイプの人で、彼にもそう話していたという。
なのにこの時代、専業主婦を求めるのか。何様だ。

気付いてしまった。「専業主婦」への拒否と、強烈な憧れに

ここまで怒ってみて、ふと冷静になった。
自分が専業主婦を拒否しながら、同時に強烈に憧れているということに気づいたからだった。

私は偏差値のかなり高い国公立大学に通っている。
受験勉強は本当に大変だったから、塾や家庭教師を使っていた人も多いはずだ。
教育費も相当にかかるので、学生の親が稼ぎの良い仕事をしている人という話も、高校以前よりはよく聞くように思う。
例えば医者。例えば弁護士。例えば会社役員。
こういった家庭で少なくなく見られるのが、働く父親と専業主婦の母親だったりする。
事実私も、母親は専業主婦だった。

聞けば冒頭の私の友人の彼氏も、母親は専業主婦だそうで、きっと彼はその影響を受けている。
優秀で仕事もできる彼は、きっといい働く夫になるだろう。
そうしたら、妻に子育てを、そして温かい家庭づくりを期待してしまうのかもしれない。

母に強烈に憧れている。同時に、母みたいになってはならないとも思う

自分が知っている家庭は、結局自分の家庭だけ。
だから誰だって自分の育った環境に、求める家族の在り方は影響されている。

そこで我に返るのだ。
私は母親の愛情に育てられたという強い実感をもっている。
勉強を見てもらって学ぶことを好きだと思えるようになって、音楽や芸術などに一緒に触れる中で自分の感性を築いて、今でも友達のように仲がいい。
だから自分にも子どもができたら、たくさん一緒にいてあげたいと思っている。

私は確実に、母に強烈に憧れている。
と同時に母みたいになってはならないとも思っている。

両親は父の不倫が原因で、もう10年近く別居状態になっている。
それでも離婚はしていない。
おそらく母と大学生の私が生きていくために、父の稼ぎは都合がいいのだ。
離婚するリスクの方が、もしかすると大きいのかもしれない。

自立できないというのは、やっぱり恐ろしい。

この憧れと拒否のはざまで思うのは、パートナーに「働かなくてもいい」という生き方を提示されたとき、私はNOときっぱり言うだろうかということだった。

自分の母親のようなあり方で母であることと、何よりも仕事を優先して生きること、両方同時に成立させるのは明らかに無理だ。
仕事をばりばりするなら、ずっと子どもを見ていることはできないし、毎日子どもの帰りを家で迎えることはできない。
仕事と家庭の両立はできるだろう。子どもにそこまで尽くす必要もないのだろう。そんなことは分かっている。
ただ自分の人生の欲求を両方満たせないのが明らかなとき、私はどうするんだろう。

かなり長いこと悶々とした結果、私の答えはNOだと結論づけた。
理由は、自分以外の誰かの考えで生き方を決めないだろうと思うからだ。

いくら自分の家族が理想モデルでも、他人の生き方まで決められない

大学に入るまでは、一流大学に入ったその先が見えていなかった。自分で決めて勝ち取った合格とはいえ、社会的に良いとされている進路に乗っかって選んだと思わなくはない。

でも大学入学後は、一般的なアルバイトではなく長期インターンシップをやったり、名のある学生団体をやめて自分の興味に取り組める小さい団体に所属したり、留学先に米英豪といった英語圏を選ばず北欧の国を選んでみたり…自分の好奇心にしたがって決めたことに取り組んできた。
ユニークでありたいとは思っていないし、決断力も無いのでその都度迷ったけれど、最後はやっぱり自分の心が向くことを選んできた。そうすることで捨てなきゃいけない選択肢に求めていたものも、選んだ選択肢でなるべく得てやろうと行動していた。

今私は、わくわくする気持ちに素直な自分が好きだ。
他の人が合理的で魅力的な道を示してくれても、自分がいいと思う道で最善を尽くしたい。

専業主婦になるという選択肢自体が、憎いわけじゃない。
自分だろうが他の誰かだろうが、専業主婦になりたいと思っていてそれが叶うのであれば、私は「いいんじゃない」と答えるし賛成すると思う。

私にとっての問題は、人にそれを求められることにある。
いくら自分の家族が理想モデルだろうと、自分の稼ぎがどれだけ多かろうと、他人であるパートナーの生き方を決めることはできない。

稼ぎの大小がパートナー間にあるならば、それはどうしても権力構造になってしまう。
そうだとしても、パートナーの人生を尊重することってできるはずだ。

裏を返せば私は、専業主婦を求める人とは一緒にいられない。
だけど、私が子どもといない時間を「この人とその子が一緒にいてほしい」と思える人と、パートナーになればいいだけかもしれない。
自分の個人の達成欲と家族の理想像、協力すれば両方得られるかもしれない。

だから私はNOと言う。
自分と大事な人の生き方は、個人として尊重しつつ理想を求められると信じてるから。