私は三姉妹の次女で、姉であると同時に妹でもある。社会人の姉と大学生の私、年の離れた中学生の妹は、現在それぞれ別の場所に暮らしている。

私が自分で考える私たち姉妹の実態は、三姉妹としてのまとまりは正直全然なくて、各々がバタバタと好き勝手にやっている人たちだ。3人で一緒にどこか出かけたり何かしたりすることもあんまり記憶に残ってなくて、個々のやり取りの方が多い。

妹とは、近頃の学校生活を報告し合ったり、お姉ちゃんの話し方の真似を本気でして「似ている!」と爆笑したり、猪突猛進で思い立ったら速攻行動する姉がいかに面白いかを語ったりする。姉と話す時は、最近困っていることや妹がどれほど忙しい中学校生活を送っているかということ、実家でほぼ一人っ子状態の妹がどう過ごしているかについて話す。だから彼女らのそばにいなくても、私は自分が姉であり妹であることが人生に何かしらの影響を与え続ける要因になっている。

それぞれを「家族」ではなくて「人間」として見るようになった

私が高校を卒業するまでは皆同じ屋根の下で暮らしていたのだが、そこで過ごす日常がとてもつらい時期があった。私が大学受験の年に、姉が親と折り合いが悪くなったのをきっかけに、私を含め家族はそれぞれが自分の感情をぶつける場所を失ってしまったのだ。実際にはあまりにたくさんの対処しきれない事情が重なってしまったから、姉は私がこう書くのを不本意に思うかもしれないけれど、私の中では最も衝撃の大きい出来事の一つだったから、そのように記した。とにかく当時は各々が自分のことを自分で成立させるのに必死だったし、妹までが空気を読むようになってしまった。

家族という人間関係を維持できないのではないかと疑いたくなる状態になっていたから、私はそれぞれを「家族」ではなくて「人間」として見るようになった。それと同時に私は自然と姉として、妹として振る舞ったのだ。妹の前では余計なことで心配をかけないように他愛のない話をして笑い合い、たまに行われる家族の話し合いで顔をあわせる姉には、なるべく中立の立場を示そうとしていた。実際は何も言葉を発さなかっただけだったけれど、私は自分自身を管理した。そんな抑圧的な私を見兼ねてか、当時かなり心の拠り所にしていた彼に「友達に戻りたい」と言われてしまった。私にとって彼といれる時間は安心できるものだったけれど、彼は悩んでいても何も言わない私に不信感を覚えたのかもしれない。

姉だから、妹だから、娘だから、高校生だから、受験生だから、彼女だから…あらゆる属性は、結果的に私をひどく傷つけた。当時私が大切にしたい人たちは、それぞれ他人には譲れない自分にとっての大事なものがあったのだろうと、今は納得している。つまり「傷ついた」と言っても自分で良かれと思ってやった上での結果だったから、誰かに責任をとってほしいなんて微塵も思わないし、全て仕方なかったことだ。ただ渦中にいた私は、社会的な属性を自分の感情を説明する理由にしていても、傷口に塩を塗るだけだと思っていたのだ。社会的なラベリングをはがさないとさばききれない感情が私の中を渦巻いていて、自分のことを守るので精一杯だった。

人と信頼関係の構築するのに臆病になってしまっている

姉は当時大学生だったけれど、今自分が大学生として生活していると、姉の気持ちは私なりに理解できる。自分の幸せのために生きる道を進もうとしている彼女を今は尊敬している。
私が心身のバランスを崩して大学を休学して以降は特に、人に迷惑はかけまいと何でも一人で完璧にこなしたがる私に「そんなことをしてたら誰も助けてくれなくなるよ?できることがあったらするよ、家族だから」という具合に、釘を刺しつつフォローしてくれる。相変わらず大変なこともあるけれど、家族も各々が少し落ち着いて互いの価値観を尊重するようになり、以前よりも腹を割って話ができるようになったと思う。お別れをした彼とはほとんど連絡を取らないけれど、復学後一度だけ精神的にきつくなった時に電話をして、全く根拠のない自信と励ましをもらった。良き友人の一人として、元気でいてほしいと思う。

ただ、私はこれまで自分を傷つけないために「人間」として相手を見ようと気にしすぎたのか、人と信頼関係の構築するのに臆病になってしまっている。これは私のちょっとしたコンプレックスだ。自分の譲れないものをきちんと人に表明したり、適切な振る舞い方をしたりできなければ、私はすぐに疲れてしまい、ものすごく困っている時に限って過剰なまでに孤立し、実生活にも支障が出る。自分のことを守るつもりが傷つけることになってしまっていたのだ。

人と気軽でゆるやかなコミュニケーションを取っていけば自分が知らない自分の存在を自覚できるはずで、どんな自分も自分であると認めたくてもできない領域が必ず生まれるだろう。そういう時は「姉だから」「妹だから」と特定の関係性を物事の根拠にして適当に怒られたり、励ましてもらったり、どうでもいいことに話を逸らしてもらったりしてもいいのかもしれない。そしてもしかしたら、私が一度身につけた人との関わり方も、どこかで誰かを助けることになるかもしれないととりあえず今は思うことにして、自分を慰めたい。

妹は生々しい人間模様をじっと見て色々なことを感じてきたのだろう

妹は、姉と私、その他家族、生々しい人間たちの有様をじっと見て色々なことを感じてきたのだろうと思う。私は「生々しい」と表現したけれど、彼女は彼女なりの環境があってそれが普通のことなのかもしれないし、言い換えれば人間らしい生き様を見せられていると言えるのかもしれない。
まあ妹にはこれからも(?)のんきに素直にのびのびしていてほしいし、困っても程々に人に頼ったり、愚痴ったりしてほしい。とにかく自分の好きなようにしてほしい。彼女は私の妹だから、こう願望ばかりになってしまうのは仕方がない。