飲み会にて。
「んー、じゃあ好きなタイプ順番に言っていこうよ!」
「好きな顔ってどんなの?」「えっじゃあ芸能人で言うと?」

大人数の飲み会に行くと、必ずといっていいほど、この質問に出会う。
好きなタイプ、好きな顔、好きな芸能人…
これらの話題に出会ったことのない20代はいないんじゃない?!って心で叫びます。
大人数の飲み会でこれらの話題になることは、私の中でもはや必須だから、私はいつも完璧な答えを用意している。もちろん。当たり前。

「好きなタイプは甘やかしてくれる人かな。自分が長女でしっかりしなきゃって思って育ってきたから、逆に甘えたい。でも結局、好きになった人がタイプってやつだと思う~(笑)」
「好きな顔?んー、顔はあんまり気にしないけど綺麗めがいいかな」
「芸能人でいうと○○!まあ現実にはいないよね~(笑)」

そう、だいたいこんなことを言っていれば当たり障りなくやり過ごせるし、周りもなんとなく納得してくれる。
上で言ったタイプって、割と、女の子にとってのテンプレだと思いませんか??
この間は、「ああ、女の子はそういう人多いよね!」って言われました。

聞いてくる彼ら彼女らの好奇心を埋め続けている

このように私は質問に答え、周りの人と同じ土俵にしがみつき、聞いてくる彼ら彼女らの好奇心を埋め続けている。

好きな人がいるかと聞かれれば、
「今いないな~、今周りにいい人本当にいないんだよね、誰か紹介してよ!(笑)」と言って、今は好きな人はいないけど、昔はいたことを匂わしてごまかす。
付き合っている人がいるか聞かれたら、
「いないんだよ~寂しいって、ほんと。絶賛募集中だから(笑)」
今まで付き合ったことがあるか聞かれたら、
「実はない..やばくない?!まあ何もないことはないけど、ちょっといろいろ面倒くさかったというか(笑)」と、
付き合うまではいかなかったが、言えない関係性になったとか、まあ一応「何か」があるにはあったことを匂わして、決して自分の人間性に問題があるわけではないことをアピールする。

中には、今ここにいる男子の中だと誰がタイプか、なんて聞いてくる人もいる。
そして、「しいて言えばでいいから。みんな1人は言ったから!」と押しが強い人もいるのだ。そして、ピントの外れた答えをしようものなら、誰かの怒りや嫉妬を買うかもしれないし、あるいは、「実は、本当に、ガチの方で気になっていたりしてえ(笑)」と言われ、心で悲しい思いを抱えなければいけない。

顔なんて首の上の物体でしかないし、タイプとは何ぞや

だから、私はタイプとか外見に関する話が苦手だ。
自分の好きなタイプや理想の人というものが、よく分からないから。
好きなタイプって、その日本語の意味が分からなくて、何と答えたらいいのか分からなくて、頭が痛くなる。

さらに、好きな顔ってそんなもの、なくないですか。
私は人の顔見て、特に、可愛いともかっこいいとも思わない。顔なんて首の上にある、みんなが持っている唯一無二の個性であって、それ以上でもそれ以下でもない。
「ああ、顔だな」っていうのが、私の感想。
最近、塩顔や醤油顔っていう言葉もあるみたいですが、誰それは塩顔だ、とかって判断もよく分からない。
単に私の顔の認識能力が低いだけなのかもしれませんが…

それでも、人の顔についてあーだこーだ言うなんて、失礼なことでは?
もちろん、モデルさんや俳優さんを見て綺麗な方だな、素敵だな、とは思う。
ただ、それが好きな顔かと問われれば、何故そんなこと聞くのか理解できなくなってしまうし、私もあなたも、皆それぞれ「違う顔」を持っているだけだ。

恋愛の話は、簡単に盛り上がれるトピックのNo.1

もちろん、恋愛は楽しい。
そして恋愛の話は、簡単に盛り上がれるトピックのNo.1にランクインする。
そんなに仲が深まっていない人の間でも盛り上がれるし、だいたい誰もが、話題のひとつやふたつは持っている。それは、いつの時代でも、世界のどこでも共通することではないだろうか。
高校で散々学んだ古典の話題だって、大抵が恋愛の話だった。映画なんて、ほとんどに恋愛の要素が含まれている。
でも人は決して飽きずに、今この瞬間も恋愛の話をしている。

人を好きになるということは、奇跡的な出会いの中で起こる、本当に素敵で素晴らしいことだと思う。
恋愛も、恋の駆け引きやそのドキドキも、素敵だ。
私たちは好きな人がいるから頑張れるし、自分磨きに精を出せるし、毎日学校や職場に行けるのだ。
好きな人の一言で、本当に幸せな気持ちになれるし、にやけが止まらない!
恋をしているときって、苦しさもあるけど本当に楽しいよね。

愛するとは、そう決意するということ

でも、やっぱり私は自分の好きなタイプや、好きな顔も、芸能人で言えば誰かも、よく分からない。今まで好きになったことのある人は、数は少ないけれど、そこに共通点なんてない気がする。
ただ、いざとなれば、そう決めた人を愛することが出来る、という謎の自信もある。
持論ですが、私たち人間は、誰でも愛することが出来ると思っている。
もしも、どんな困難があってもこの人を愛し、守っていくのだと、強く決意するならば。
そしてその愛を続ける努力を、お互いが続けるならば。
人生の主語が、「私」ではなく「私たち」になったとき、やっと愛の真の偉大さを実感できるだろう。
そんな気がする。
運命の人は、いない。愛は自分の信念と決意次第。

だから好きなタイプや顔についてではなく、愛の偉大さとすばらしさについて、もっと語り合いませんか。