姉だから妹だから。
私は「姉だから」と言い、妹は「妹だから」と言った。
「姉だから最後のひとつも食べていいはず」
「妹だから最後のひとつは譲ってもらえるはず」
結局その争いに負けるのは、「姉だから譲りなさい」と母親に言われる私だったけど。
姉だから妹だから。
私は「姉だから」と言いながら、自分のやりたいことを
我慢して妹の遊びに付き合った。
本当は、人形遊びはあんまり好きじゃなかったけど。
「妹のくせに」と何度も言った。その言葉で相手を縛り付けるみたいに
姉だから妹だから。
「妹だから、姉の言うことをきくはず」
たまに私は、自分のやった悪いことを
全部妹がやったことにしていた。
私が4歳で妹が1歳くらいのとき。家族で出かけた帰りに、車でスーパーに寄り、「2人は待ってて」と車内で留守番させられたことがある。寒い冬の日で、短時間だからというのでエンジンはかけたままだった。ナビにはボタンがたくさんついていて、触りたがりの私はそれらを押して遊んでいた。最後元通りになっていれば何の問題もないと思っていたから。でも、どこか変なところを押したせいで元通りにならなくなってしまって、私はまだ小さかった妹に「これ、妹がやったことにしてもいい?」と聞いた。そのあと妹がわけも分からず怒られているのをただ見ていた。
姉だから妹だから。
「妹だから、おとなしくしてて」
たまに私は妹のことを無視した。
ある雪の日に、近所の子たちがバケツいっぱいに真っ白なきれいな雪をためていた。めったに雪が降らない地域で、地面に落ちている雪は雨や土とまざってドロドロで、フワフワときれいなバケツいっぱいの雪はまるで宝物みたいだった。何するわけでもなく、宝物の雪はバケツに入っていた状態で置かれていて、近所の子たちが5分くらいその場を離れていた間に、バケツが倒れて、こぼれてしまったらしい。私と妹もそれぞれ違うところにいたから誰がやったのかは、誰にも分からない。近所の子たちは、そのとき一番小さかった妹を責めた。多分、小さい子だからやっちゃいけないことを平気でする、と思われていたんだと思う。妹は違うと言っていて、私も妹の様子を見て違うだろうなと思ったけど、自分も責められたら嫌だから、一緒になって妹のことを怒った。
姉だから妹だから。
「妹のくせに」と何度も言った。
「妹」という言葉で相手を縛り付けるみたいに。
妹は「妹だから」姉に合わせるようになっていた
姉だから妹だから。
それはいつのまにか、「姉なのに妹なのに」へと変わっていった。
「姉なのに最後のひとつはちゃっかりもらう」
「妹なのに最後のひとつは譲ってあげる」
「姉なのに馬鹿なことをして笑う」
「妹なのに姉に合わせて一緒に笑ってあげる」
音楽をかけて踊る私を見て、妹はその曲を好きじゃなくても
たまに一緒になって踊ってくれた。
たぶん私は「姉だから」好き勝手していて、
妹は「妹だから」姉に合わせるようになっていた。
それに気付いたのが、社会人になって私がひとり暮らしをはじめて、妹も進学してまた違うところでひとり暮らしをはじめたくらいの頃。ふと小さいときの夢を見て、自分が妹に対してしてきたひどいことをたくさん思い出したから。
寒い日の車の中、雪の日のバケツ、そんな出来事がどれだけ妹の中に残っているのかは分からないけど、とにかくそういう小さなことが積み重なって、だんだん妹も私に反抗するようになってきて、小学校の高学年から高校生くらいにかけて私と妹の仲は最悪だった。
でもそれも年齢を重ねるにつれて自然とよくなっていて、成長すると落ち着くものだなぁなんて呑気に思っていたけど。多分妹は私に対して諦めていたのだと思う。
それと同時にとても今更だと思いながら、とても申し訳ない気持ちになった。
妹は私のことを許してくれているんだろうか。
私も一緒に踊りながら、ふたりでへらへらと笑った
「姉フォルダ」なるものを妹の携帯から見つけたのは、ひとり暮らしをはじめてから最初のお正月、実家に帰省していたときのこと。
私の変な顔、変なダンスの写真や動画を集めたフォルダらしい。実は数年前からずっとあって、結構な数がそこに入っているらしかった。
「きもちわり」
今後はもう暴言は言うまいと決めていたけど、私は思わず言った。
「だってお姉ちゃん面白いんだもーん」
とへらへらと妹は笑って、変なダンスをしてみせた。
私も一緒に踊りながら、ふたりでへらへらと笑った。
「スキあり」
最後のひとつを妹が口に放り込む。
姉だから妹だから。
ずっとそれに縛られて、優しくしたり、ひどいことをしたりした。
姉でも妹でも。
私が23歳で、妹が20歳。
たまに優しくしたり、されたりして、ただ一緒に笑っている。