自分の毎日が、平々凡々なことは承知している。それでも、SNSをで他人のいわゆる“リア充”な日常を見て、自分と比べて落ち込むというのは、誰もが経験したことがあるのではないだろうか。もはや一種の通過儀礼でさえある気がする。ご多分にもれず、私も経験者である。
仲良しのはずの友達が、大人数でBBQに行ってはしゃいでいるストーリーズを見たとき、(友達が多くてうらやましい。てか、あれ、私誘われてない)。
高級レストランの写真に、本文には「今日は家族に誕生日を祝ってもらったよ」という投稿を見たとき、(我が家では誕生日普通に味噌汁だった)。

高級ホテルにブランド品。SNSは、私をみじめな気持ちにさせた

何よりも私が落ち込むのは、いわゆるインスタグラマーと呼ばれる人のSNSだ。特に、私と同世代の女性インスタグラマー。芸能人でもないのにモデルのような美貌。数万人のフォロワーをひっさげ、高級ホテルやレストラン三昧。エステにネイルに高級ブランドのワンピースに身を包む彼女たち。誰もが憧れるような華々しい生活を送っている。そんなホテルやレストランだって、自分でお金を払って行くのではなく、ホテル側からPRを頼まれ、お金をもらって行く…ということもあるそうだから、夢のような話だ。

にぎやかな休日を過ごす友人、きらびやかな生活を送るSNS界のスター達。それに比べて私の生活の味気無さたるや…。こうやって自分の生活と比較して落ち込むことは、もう、歯を磨くのと同じくらい私の生活の一部となっていた。SNSは自分を惨めな気持ちにさせるツールだった。

私だってキラキラしたい。憧れに近づこうと、SNSを「研究」し続けた

でも、それで終わらせるのは嫌だと思う自分もいた。元々ミーハーな気質がある私。自分もインスタグラマーになりたいと思った。「注目されたい!私もキラキラしたい!!」そんな目立ちたがりの小学生みたいな理由で、インスタグラムを”頑張る”ことにした。

写真映えするグルメのために外出し、写真を撮り、アップする。どのような投稿に注目が集まるのか、人気の投稿を片っ端から研究し、写真の角度や構図、文章の書き方などを研究した。SNSのハウツー本を購入し、隅々まで読み込み、実践を繰り返す毎日。

「何をやってるんだ…」と虚しさが募り、我に帰りそうになることもあったけど、続けた先に何かある!!と信じて、とにかく投稿をやめることはしなかった。

落ち込んでいるだけじゃつまらない。自分から動けばきっと楽しくなる

1年後、0から始めた私のインスタグラムのフォロワーは1200人になった。正直、SNS界隈の中では多くはない。「1年頑張ってこの程度か」って思う人が多数だと思う。

でも、私のSNSへの考え方は変わった。自分をしぼんだ気持ちにさせるものから、心を弾ませるものに変わった。自分の投稿した内容に反応があったり、フォロワーが増えていったりすることは素直に嬉しかった。「すごく参考になりました。今度行ってみます!」「投稿いつも楽しみにしてます」って言ってくれる人も現れた。ああ、SNSの醍醐味ってきっとこれなんだ。知らない人とつながれて、知識を交換し、知らない世界を知れること。今まで会ったこともない、これから会うこともないであろう他人から、温かな言葉をもらえること。

結局私は、華やかな生活を送る彼女たちのようなインスタグラマーにはなれてないし、キラキラな生活への憧れも未だにある。でも、SNSに対して受け身であることをやめた瞬間から、SNSが楽しくなった。他人の充実した生活を覗き見て、地味な自分に落ち込んで終わり、じゃあまりにももったいない。「むしろ使いこなしてやるけど?」くらいの姿勢が、SNSとの幸せな付き合い方だと思うのだ。