私の短所は鬱。

「鬱ですよー」と診断されたのは約1年前だが、それまで病院に行っていなかったというだけであって「もしかして、私って鬱かも」というぼんやりとした自覚は何年も前からあった。

感受性が強すぎて、感情に飲み込まれて

小さい頃から、私は感受性が強かった。相手が心の中で考えていることがいつも、手にとるように分かった。私に隠せていると思っている母の怒りや、先生の嘲笑や、友達の悲しみを心はまるで乾いたスポンジのようにぐんぐんと吸収した。彼らの心の内を全て理解出来ている、そこまでの自惚れはなかったけれど私のスポンジは周囲の人達より吸水力が何倍もあるのだろうという自覚はあった。けれど吸収したものに振り回されず、抱えて生きていけるほどの心の強度はなかった。

私は自分の事のなんかそっちのけで彼らを慰めたり一緒に悲しんだり、彼らを苦しませるものに真正面から立ち向かったりした。自分以外のことで心を病んで、頻繁に体調を崩した。感情が見えやすくて私の心をすぐベチョベチョにするような人と接するのは恐ろしかったし、つまらなかった。本心がうまく見えない人に、私はいつも安心して惹かれた。母は「あんたは重い」と怒った。曾祖母は「お前の心の目は特別だ」と笑った。漠然と、日々が恐ろしかった。自分がいつか感情に飲み込まれてキャパオーバーするだろう、とは思っていた。

鬱と診断が出てからはよく「生きづらくない?」と哀れまれるが、そんな時はきまって「そんなこと言われたって…」という気持ちになる。確かに正直生きづらい。あなたは鬱の人の体調や、精神状態を具体的に知っているだろうか。私はよく鬱の時の体調を"インフルエンザに感染して四日目"と例える。四日目くらいの、あの何とも言えない微妙な身体のダルさが毎日続く。

テンションは数分おきに0%→100%→0%→100%→0%
と変化する。身体中に地雷があって、何を言われても爆発してしまう日もある。でもこれは最近一層ひどくなってきたというだけで別に、今に始まったことでは無い。18年間こうやって生きてきたんだからもう、この生き方しか今は無理に決まっているでしょ、と思う。

鬱は私の短所で、感受性の強さは私の最大の長所だ

めちゃめちゃ生きづらいけれど、別にこの生き方が嫌いなわけでは無い。自分の心の闇はどうしようもないけれど、代わりに私は大切な人の心の闇に気付いて、共鳴したり光を当てたりすることが出来る。鬱は私の短所で、感受性の強さは私の最大の長所だ。大概の場合、短所と長所は細い糸で繋がっている。

自身がコンプレックスだと思っているものも、ある日突然それが誰かの救いとなる瞬間がきっとある。私はそう信じている。だから自分を哀れむ必要はないし、他人に哀れまれる必要もない。私は長所と短所、どちらも抱き抱えたまま、この生きづらい道を一歩一歩ゆるやかに歩いていきたい。