かがみよかがみでは、「私が歩みを止めたとき」をテーマにエッセイを募集しました。たくさんのご応募の中から、編集部が一番心に響いたエッセイを「かがみすと賞」として選ばせていただきました。
今回は、かがみすと賞1本、編集部選として2本のエッセイをご紹介いたします。
◆かがみすと賞
親友が亡くなっても彼に振られても「大人だから」と自ら苦しめていた(たらふくのんちゃん)
あらすじ:「自分よりつらい人がいる」。そう思って日々を過ごせば切り替えられると思っていた。ある日業務中に激しい頭痛でパニックに。そして過去の悲しみが襲ってきた。
◆担当編集者からのコメント
後悔や罪悪感から「自分には悲しむ資格がない」と思ってしまったのですね。しんどさも自業自得だと。
時間が解決してくれるとよく言うが、涙を流す暇も与えないまま、空元気で悲しみが癒えることは決してない。上司の言葉でそう気づいた私は、休み期間、声を出して泣いたり好きなだけぼーっとしたりと、自分を思い切り甘やかした。やっと、こんなに悲しかったんだと思えた。
悲しみを癒やす「時間」ですべきことは、きちんと悲しむことだったんですね。淡々としたなかに深い言葉がたくさんちりばめられたエッセイでした。
◆次点①
「死んだはるのとおんなじ」。老婆の言葉はうつ病で休職した私に響いた(初夏のアリス)
あらすじ:広告代理店に就職した私の前には、華やかな線路が見えていた。でも認識が甘かった。入社半年でうつと診断された。休職して訪れた京都。ふらっと入った和雑貨店で、白髪の老婆に話しかけられた。
◆担当編集者からのコメント
京都に行ってからの展開にびっくり。鳥肌が立ちました。
どういう意味ですか、と言いかけてはたと気づく。老婆は口を閉じたままだ。なのに声だけが耳に入ってくる。背が冷たくなった。店の中には私たち2人しかいないはずだ。ビー玉のような目から視線が外せなかった。
不思議な経験です。本当に狐だったのでしょうか。幻を見たような、そしてちょっと心が軽くなる読後感のエッセイでした。
◆次点②
夢破れた私は今、人生をかけたあの日々を愛おしく思えるようになった(喜座みのり)
あらすじ:ずっとヒロインになれなかった私は、ある舞台でヒロインではない役に巡り合い、目標になった。必死に練習した。でも、その役を射止めたのは、我が劇団のヒロインで、既にデビューしていたあの子だった。
◆担当編集者からのコメント
努力と成功に関係はあるのか、ないのか。「夢」をめぐる永遠のテーマかも知れません。
あんなに好きになれる作品と歌に出会えたこと。
夢中で練習していくうちに、びっくりするくらい成長できたこと。
それでも結局、何者にもなれなかったこと。
その全部が、私らしい輝きを放っているように感じる。
だからもう充分。誰かの人生を演じることは止めた。
自分の人生で輝くために必要なのは、必ずしも「成功」ではないんですよね。すてきなラストでした。
以上、「私が歩みを止めたとき」のかがみすと賞、編集部選の発表でした!たくさんの素敵なご投稿を、本当にありがとうございました。
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