世間には、夢を諦めるな系の名言が溢れている。
「努力は必ず報われる」「諦めなければ夢は叶う」
じゃあ、あの日私が夢破れたのは、夢が叶った人より努力が足りなかったのか。
どうしてもそう思えないほど、本気で愛していた夢があった。
「絶対ヒロインになれない人生」は、苦しく枯渇したものだった
6年間、夢中で追い続けていた夢だった。
学生時代、舞台活動を始めた私は、仲間と一緒に舞台を創る喜びや、役として誰かの人生を演じる面白さの虜になった。
その反面、劇団内で「ヒロイン役に選ばれる人」と「ヒロイン役を引き立たせる人」の配役がいつも同じであることに(もちろん私は後者)劣等感もあった。
今なら、引き立たせ役の魅力も理解できる。様々な人との出会いや経験を通じて、価値観も変わったから。
でも当時の私にとって「絶対にヒロインになれない人生」は、どんなに喉が渇いても水を飲むことが許されないような、苦しく枯渇したものだった。
なぜなら、多くの人に称賛され、愛されることが、自分の存在価値だと本気で信じていたから。だから私は、幕切れ後に誰よりも拍手がもらえるヒロインになりたかったし、そうでない自分が惨めだった。
そんな中、ある舞台作品と出会った。
劇中に登場する一人の女性が、私の人生を大きく変えた。
釘付けになった劇中の彼女は、私にとって大きな道標になった
彼女は、混沌とする時代の流れや、愛する人と決して結ばれない運命に翻弄されながらも、気高く生きて、愛する人を守るため命を投げ打ち、その生涯を終えた。
彼女が愛した人は、違う女性と結ばれることになるので、彼女はヒロインではない。しかし私は、結ばれた女性よりも、彼女の方に釘付けになった。
衝撃だった。泥にまみれても、綺麗じゃなくても、ヒロインをも凌ぐ輝きを放つ彼女の生き様は、私にとって大きな道標となった。
以来この役に近づけるよう、あらゆることをした。
原作となる小説も存在し、舞台においては数十年、世界中で上演されているので、学ぶための素材はたくさんあった。
彼女の生き様を理解しようとするのはもちろん、歴代の舞台女優たちが、どのようにそれを表現しているのか、探し続けては、自分のモノにできないか試行錯誤した。
夢中で練習しているうちに、できることが増えていった。声域が広がり、発声が変わり、表現の幅が広がった。
一度病気になって舞台活動から退いた時も、一人で練習を続けた。周りから置いていかれる焦燥感と孤独から救ってくれたのは、彼女が歌う劇中歌だった。
体調が回復し、活動を再開した時も、この歌と一緒だった。5年目に差し掛かる頃、一人でライブハウスに繰り出し、飛び込みで歌うようにもなった。ローカルから全国まで、様々なオーディションにも挑戦した。
歌を聴いてくれた方からは、良い反応をもらえることもあった。涙を流してくれた方や、あなたは本物のアーティストだと言ってくれた方もいた。
でも、どのオーディションも最終までいけなかった。
あの作品がテーマの大会がある。「死んでも食らいつく」思いだった
カラオケの精密採点では98点まで伸ばすことができたから、客観的にも技術は高まっていたと思う。かと言って、小手先のテクニックに走り、この歌の核を見失ったこともないと思う。
毎回、劇中での彼女のように、命をかける思いで歌ってきた。
それでも、ローカルのカラオケ大会では、予選すら通らなかった。
そんな中、プロの劇団による、あの作品をテーマにしたのど自慢大会の告知が届いた。最終選考まで残れば、本公演で使われている劇場で、現役キャストの前で歌うことができる。
絶対に、あの歌を劇場で歌う。死んでも食らいつく。そんな思いで、予選用の音源を録音した。この作品と出会って6年目の夏だった。
歌えば歌うほど、想いが深まるばかりなのに、報われない。作中の彼女と自分の思いがぴったりと重なった気がした。予選結果を待っていたある日、舞台仲間たちとのグループラインに、ビッグニュースが轟いた。プロデビューしていたある子が、あの作品の本公演に参加することが決まったそうだ。
その子は、我が劇団ではヒロイン役の常連。容姿、声、スタミナ、メンタル、技術の全てが完璧。五角形のレーダーチャートがあるとしたら、全てが最高得点で、もはや円形。
在学中に受けた全国オーディションでグランプリを勝ち取り、そのままプロの世界に行ったが、そんなシンデレラストーリーが現実になるのも納得の才能だった。
私にとって希望のような役は、ヒロインみたいな子が演じることに…
「嘘でしょ。まさか。あの役じゃないよね…」
心臓のドクドクとした音が響く。本当にすごいし、喜ばしいことなんだけど。でも神様お願い、どうかあの役だけは…。
「マジか。あの役か…」
目の前が真っ暗になった。
確かにあの子は素晴らしい。あの輝きの裏では、きっと多くの努力をしてきただろう。
でも、あの役だけは。あの役への愛と情熱だけは、私は絶対に誰にも負けなかった。
あの役は、いつもヒロインになれない私にとって、唯一の希望だった。
あの時で、自分に備わっている様々な感情のうち、「悔しい」については、一生分を感じ切れたと思う。
おじいちゃんが死んだ時と同じくらい泣いた。(おじいちゃん、すまんよ。)
命をかけて臨んだオーディションも、後日落選の知らせが届いた。
以来、あの歌を歌うことを止めた。努力が足りなかったとは思わない。
でも、夢を諦めるな系の名言たちがいうように、夢が叶わなかったということは、私の努力が足りなかったのかもしれない。
あれから3年。夢破れた時間を愛おしくおもえるように。もう充分だ
あそこで諦めなければ、もしかしたら叶ったのかもしれない。それでも私は、止まることを選んだ。もう限界だったから。
3年が経った今、やっと私は、夢破れたあの時間を、愛おしく感じるようになった。
あんなに好きになれる作品と歌に出会えたこと。
夢中で練習していくうちに、びっくりするくらい成長できたこと。
それでも結局、何者にもなれなかったこと。
その全部が、私らしい輝きを放っているように感じる。
だからもう充分。誰かの人生を演じることは止めた。