生きてれば、色々ある。どんな悲しみが襲っても、自己管理も仕事のうち。涼しい顔をして、仕事やプライベートをそつなくこなすのが大人のあるべき姿だ。

みんなやれてるから。自分よりつらい人がいるのだから。

アラサーとはそういう時期で、そう生きていかなければならないと自分に言い聞かせていた。

親友の死。私は悲しむ間もなく、自分を奮い立たせて毎日を過ごした

2020年、27歳の冬。親友が亡くなった。

あの子の死に、「どうして」などと言う権利は私にはなかった。調子が悪いとわかってはいたのに、起こすアクションといえば時折するLINEくらいで、会いに行ったのだって亡くなる2年も前だった。

当時の私は、「今の楽しさ」を優先した。仕事のやりがいや、慌ただしい東京暮らしを言い訳に、弱っているあの子を無視したのだ。

葬儀中は、悲しみと自己嫌悪に脳が支配されるような感覚で、猛烈にしんどかった。しかし、このしんどさは、手を差し伸べられなかったから自業自得だ。

悲しいけれど、ご家族はもっとつらい。私なんかが、あの子を言い訳に、歩みを止めてはならない。「亡くなった人の分まで頑張る」とよく言うじゃないか。今こそ、そのタイミングだ。そう思って、葬儀直後も普段通り、多忙だった当時の仕事に集中した。

あの子の死の直後、3月からは本格的なコロナ禍となった。当時、転職活動中で悩みも多かった上、時折唐突に、悲しみや閉塞感に襲われることもあったが、「みんなが苦しい、弱音を吐いたらダメだ」と自分を奮い立たせて毎日を過ごした。彼氏との毎日のテレビ電話だけが自分の救いだった。

私は運良く、希望の会社に内定した。転職成功おめでとうと周りには大いに祝福された。大喜びというより、「私、ちゃんと大人をやれてる」とホッとしたことが強く印象に残っている。

突然、彼氏に別れを切り出された。でも、私は綺麗な別れを演出した

8月、入社した転職先は良い環境だった。仕事は楽しい。その頃は自粛ムードが緩和され、彼氏や友達と会えるようになった。やっと、全て順調だ、もう安心していいんだと思った。

10月、彼氏から別れを切り出された。彼は5つ下だった。歳の差はあったけれど、仲は良かった。

彼は、「大好きなのに、結婚適齢期の〇〇ちゃんに、一生守るよって言ってあげられる余裕がなくて、自分が情けない」と泣いた。私も泣いた。大好きで仕方ない。別れたくない。

大好きな彼を困らせたくないと必死で自己主張を抑え込み、我ながら、綺麗な別れを演出できた。改札で「今までありがとう」と言って別れた後の、帰りの記憶はない。気付くと自宅で、泣きすぎて胃の中が空っぽになるまで吐いていた。

無情に日々は続く。仕事が変わらぬ表情で自分を待っていてくれるのは、寧ろありがたかった。少し経ち新しい出会いも楽しむようになった。ちゃんと切り替えられてる気がした。

2021年の春が来た。4月、突然体調を崩し、入院をした。

急性胃腸炎だった。大事には至らず、3泊で退院することができた。しかし、退院後もずっと、体調が悪かった。寝ても疲れがとれない状態が暫く続いた後、全然寝付けなくなった。

6月、業務中に激しい頭痛で手が止まり、何もできなくなった。パニック。涙が止まらない。会社でいじめられてるわけでも、恋に悲観しているわけでもない。

なぜかこのタイミングで、過去の悲しみが自分を襲う。翌日も最悪の体調だったため、おそるおそる上司に相談をした。

「理由はわからないけれど、何故か悲しくて、仕事がうまくできません。申し訳ありません。病院に行ってきます」。すると上司は、「業務のことは気にしなくて良い。病院の前に、仕事の話じゃなく、君自身の話をしよう。この頃、悲しいことはあった?家族と喧嘩したでも、恋人と別れたでも、どんな小さなことでも、なんでもいいから僕でよければ話してみて」と言った。

親友の死も、コロナ禍でのストレスも、彼氏との別れも、「悲しみ」として、人に話したのは初めてだった。もっと大変な人もいるのに、自分が悲しむべきじゃないと思っていたから。全てを聞いた後、上司は、こう話してくれた。

「君は頑張っている。ただ、ちゃんと悲しむ時間はとったの?悲しみを無視して走っていたら必ず後で反動が来る。親友が亡くなったのは勿論、恋人と別れたことも、軽視すべきじゃない。全部同じように癒すべき悲しみだ。仕事から離れて、自分を癒すための時間をとりなさい。これは業務命令だよ」。

親友の死から初めて、人前で泣いた。完全在宅勤務だったので、上司には会ったことがない。それなのにこんなに救われるなんて、言葉の力は凄い。

私は「できる大人」を演じ、悲しみから逃げて自分を苦しめていた

それから3日間仕事を休み、友人の死から今までのことを思い出した。私は、「できる大人」を演じることで、悲しみから逃げてきたのだと感じた。

大人だから、親友の死にも気丈に振る舞う。大人だから、皆が辛いときに辛いと言わない。大人だから、失恋も仕方ないと割り切る。

真正面から悲しみに向き合うことで心が壊れてしまい、自分の「今」がなくなるのが怖かったのかもしれない。また、周りの目も気にしていたのだろう。恵まれているのに、何かに悲観するなんて贅沢だ。 誰に言われたわけでもないのに、自分が傷つかぬよう、先回りして平気なふりをしていたのだ。

時間が解決してくれるとよく言うが、涙を流す暇も与えないまま、空元気で悲しみが癒えることは決してない。上司の言葉でそう気づいた私は、休み期間、声を出して泣いたり好きなだけぼーっとしたりと、自分を思い切り甘やかした。やっと、こんなに悲しかったんだと思えた。

3日間の休みを経て職場に復帰し、現在は以前と同じように楽しく働いている。親友は戻ってこないし、コロナ禍は続いているし、正直元彼にも未練たらたらだ。だから、ゆるく悲しみは続いている。

しかし、悲しくても良いのだと思えた。大人だけど。周りは楽しそうかもしれないけど。私の悲しみなんてちっぽけだと思われるかもしれないけど。悲しみをそっと携えたら不思議と、「大人」をこれからもやっていけるような気がした。