かがみよかがみでは、「わたしに旅が必要な理由」をテーマにエッセイを募集しました。たくさんのご応募の中から、編集部が一番心に響いたエッセイを「かがみすと賞」として選ばせていただきました。
今回は、かがみすと賞1本、次点として2本のエッセイをご紹介いたします。
◆かがみすと賞
死にたいと思っていた私は、平等院鳳凰堂の「極楽浄土」で我に返った(しばしば)
あらすじ:心が疲れて休職。死ぬことまで思い詰めていた私は、学生時代に習った平等院鳳凰堂を見たいと思った。途中下車を繰り返してたどり着いた平等院を見た私は、美しいという感動と共に、建てた藤原頼通は、死ぬのが本当に怖かったんだなあと思った。
◆担当編集者からのコメント
苦しみや生きづらさを抱えたとき、宗教を信じていなかったとしても、神や仏に頼りたいと言う気持ちは、今も昔も変わらないのかもしれませんね。
こんなにも美しい鳳凰堂を建てるほど、頼通は死ぬのが怖かったんだなと。
平安の時代に権勢のあった頼通も、死ぬのだけは怖くて不安でしようがなかったんだなと。
そんな当たり前のことに、私はその時に気づいたのである。
そして、私はやっぱりバカだったなと思って我に返ることができたのかもしれない。
文章のテンポが良く、徐々に目的地に近づいていくのにつれて、苦しくても少しずつ前に進んでいっているように感じました。平等院を見たときの感動が、臨場感を持って伝わりました。
◆次点①
おじさんの期待通りに仕事をする日々に別れ。決意のコロッケパンの旅(あかりんご)
あらすじ:29歳のピチピチのOL。歴史のある企業で部内最年少の私の仕事は、おじさんたちの要望を聞くこと。これが幼い私が期待していた未来だっただろうか。そんな毎日に自分を見失うとき、私は自転車で幼い頃過ごした町に向かう。思い出のコロッケパンを買う旅だ。
◆担当編集者からのコメント
お母様にいろんなことを話しながら帰る「コロッケパンの儀式」。親子どちらにとってもとても大切な時間だったんでしょうね。
「どんなに辛いときでも、どんなに反省しても自分のことを嫌いにならないこと。自分のことを考えてあげるのよ。パパとママはいつまでも一緒にいてあげることはできないから、自分だけはいつも一緒にいてあげてね」
という母の言葉を思い出した。
おじさんたちの要望に応えてすり減らす日々に、お母様の言葉が響きますね。ラストシーンは、前を向いて自転車をこぐ姿と頰をなでる風を感じるようでした。
◆次点②
卒業式前夜に立った一人旅。最後に「いい思い出」にしたくなかった(木戸あべる)
あらすじ:大学の卒業式の前日。バイトを終えた私は東京駅に向かった。卒業式の日は一人旅を決行するのだ。卒業式だからといって、「最後だから」といって、モヤモヤや苦い思いを全てなかったことにしたくないのだ。
◆担当編集者からのコメント
無理やりハッピーエンドにさせられる空気。感動話にしようとする圧力…ありますね。自分が感じていたモヤモヤを言葉にしてもらったような気がします。
私はいい思い出なんかになってやらない。
私は、「最後だから」と補正がかけられる場所を逃げる旅に出た。
逃げではない。だって、旅だから。
どう締めくくるか、どう納得するかは自分が決めるという意思を感じるエッセイに、勇気をもらいました。
以上、「わたしに旅が必要な理由」のかがみすと賞、編集部選の発表でした!たくさんの素敵なご投稿を、本当にありがとうございました。
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