宗教を特別信じていたわけではない。でも死後の世界を考えていた

心が疲れて休職していたとき、死にたいと思って毎日を過ごしていたあのとき、どうせ死ぬならと思って京都に出かけたことがあった。
今となっては、話のネタとしてエッセイをここで書けるぐらいになっているけれど、あのときは、本気で思い詰めていたと思う。

仕事ができず、自分には何もない、心が空っぽになって、抜け殻のようになっていた自分は、死にたいと思っていた。
もう苦しみたくないな、なんて考えていた自分は、死後の世界についても考えていた。宗教を特別、信じていたわけではない。

だけど、ふと昔、学生時代に勉強した平等院鳳凰堂が頭の中に出てきた。
極楽浄土。
藤原頼通が死後、苦しみのない世界で過ごせるようにと建てた平等院鳳凰堂。
どんな建物なんだろうと、興味を持った自分は、勇気を出して旅に出かけることにした。

宇治川の川面がきらきら輝き、旅の疲れも少し和らいだ気がした

そのときの自分は、外出するのも辛くて、自分でも一体何をしているんだろうと思うのだが、電車内でしんどくなっては途中下車を繰り返して休憩しながら長い時間をかけて、ふらふらになりながら宇治駅へと向かっていた。
一度、死ぬまでに平等院鳳凰堂を見ておきたい!という謎の信念を持って。
よく考えたらなんてバカな無茶をしていたんだろうと思う。

JR宇治駅からは徒歩10分くらいのところに平等院鳳凰堂はあるらしい。
駅の南口を出てから、私は携帯の地図を確認しながら、必死に歩き続けた。
目の前に川が現れた。宇治川だ。宇治橋の近くで「平等院鳳凰堂はこちら→」という立て看板が見えたときはほっとした。もうすぐ平等院鳳凰堂だ。
ゴールが近づいてきた。ちょうど天気がよかったので、川面が太陽光できらきらと輝いていて、旅の道中の疲れも少し和らいだ気がした。

あともう少し。自分にそう言い聞かせて、足を前に進める。川沿いに参道を歩いていくと、観光客らしき人がぞろぞろと増えてきた。私も後を追いかけて、一緒についていく。

しばらく歩いていくと、平等院鳳凰堂の表門が見えてきた。
受付で拝観料を払い、中に入る。
神聖な場所に来ているからか、どこか緊張して背筋が伸びる。

あのとき、鳳凰堂自体が神々しく輝いて見えていたのかもしれない

たくさんの観光客の中に、まさか死にたいと思っている自分みたいな変わった奴が紛れ込んでるとは、誰も思わないだろうな、バチが当たったらどうしようと、またまたおかしなことをぐるぐる考えながらも、うわあ、すごい、きれいと、庭園を見たときの自分は、周りの観光客と一緒に声を漏らしていた。

きれいに整えられた庭園。
そして、池に浮かぶように建っている鳳凰堂は、あまりにも立派だった。
屋根の上についている金色の鳳凰も、遠くからだと小さいかもしれないが、十分ぴかぴかと輝いているのが分かった。
というか、あのときの自分にとっては鳳凰堂自体が神々しく輝いて見えていたのかもしれない。また反射して池に映る鳳凰堂の姿も素晴らしかった。

だけど、そのときの自分は、きれいだなと感動する一方で、また別の感情が溢れてきた。

ああ、藤原頼通は、死ぬのが本当に怖かったんだなあという気持ちだ。
こんなにも美しい鳳凰堂を建てるほど、頼通は死ぬのが怖かったんだなと。
平安の時代に権勢のあった頼通も、死ぬのだけは怖くて不安でしようがなかったんだなと。
そんな当たり前のことに、私はその時に気づいたのである。
そして、私はやっぱりバカだったなと思って我に返ることができたのかもしれない。

とりあえず家に帰ろう。
そして、寝て起きてから、またこれからのことを考えたらいい。
久しぶりに動いて筋肉痛になった私は湿布をたくさん貼って眠りについた。
休職中だが、どこかひと仕事を終えたという達成感があった。
「死後の世界のために平等院鳳凰堂に行ってみた」
それが、忘れられない私の旅の思い出である。