3年半ほど前の大学2年生の時。初めて行った彼の一人暮らしの家で、出してもらったのはパスタだった。
と言っても、レトルトのルーを使ったパスタだ。けれど、レトルト界では最高級クラスの商品だったから、かなり美味しかった。
2種類あったルーの味を選ばせてくれて、「こっちが良いな」と言ったら、「でもこっちの方が美味しいよ」と、もう片方の方を薦めてくれた。実際、そっちの方が美味しかった気がする。

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それ以降も、彼はたまにその部屋で料理を振る舞ってくれた。
お金の計算をするのが苦手な人だったから、材料はいつも無駄に高級。なんでもない日に霜の入った肉や立派なしいたけが出てきて、この人は大丈夫だろうかと変な汗をかいた。
付き合ってから約3年半の時が過ぎた今は分かるだのだが、結論から言うと、彼は大丈夫ではなかった。
ひどい浪費家で、かつ、働く意欲に欠けているという、とっても素敵な人物だった。
彼と付き合ったことで思い知ったのは、「お金を使っている人=お金持ち」とも限らない、ということだ。
彼の子供時代の話を聞くと、それはもう、夢のような過ごし方をしていた。
ゲームセンターにある一回100円のカードゲームを、何度でもループさせてくれたという。確かに当時、そういう子供を見かけたことはある。ゲームが終わっては並び、終わっては並び、を繰り返す子供。
私は親から貰った1枚の100円玉を握りしめ、そのような子たちを恨めしい気持ちで眺めている側の子供だった。
また、2種類同時に発売されるポケモンのDSソフトを、なんでもない日に2種とも買ってもらったこともあったとのこと。
私は「おいでよどうぶつの森」を、他の子達から3年ほど遅れてゲットしていたというのに(中古屋で安くなるのを見計らっていたから)。
小さな頃には、台湾に連れて行ってもらったこともあるらしい。
私は生まれてから現在に至るまで、北海道から出るような旅行に連れて行ってもらったことは一度もない。

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しかしながら、彼の実家は現在、破裂した水道管や壊れたボイラーを直すことが出来ないほど、困窮しているらしい。ボイラーに至っては7年くらい壊れたまんまだそうで、つまりその間ずっと、家ではお湯が出せない状態なのだ。
私の実家はというと、裕福とは全く言えないが、少なくとも設備は無事だ。水もお湯も問題なく出てくれる。要するにごく普通の家だ。
彼はそのような環境に不満を感じつつも、ご両親の影響を色濃く受け、計画性のないお金の使い方をする人物へと成長した。
私は子供時代のことを「今となってはありがたかったよなぁ」と思いつつ、浪費家でもなければ節約家でもない、ごく普通の価値観に育った。
そんな私達は、恐らく、この先の人生を共に過ごしていくことは出来ない。
「育ってきた環境が違うから」とか、そんなんじゃ収められない、決定的な価値観の違い。彼と彼を取り巻く状況を前にして、「やれるだけがんばってみる」とは、私は言えない。

……という、結論だけははっきりと出ているのだけれど。
私はまだ、彼に別れを告げることが出来ずにいる。
花火大会に誘って告白してくれたこと、こちらを見るキラキラとした瞳、あの日作ってくれた高級レトルトパスタ。
まだ輝きを失ってくれない思い出が、彼との間にはたくさんある。
そんなものに固執せず、新しい楽しい思い出を作りに行ったほうが賢明だと、分かってはいるのだけれど。
手の中にある大切なものを放る勇気は、今の私には、まだ無い。