ぽとりぽとりと、足取り重たくビルを出る。日は沈んでいるのに、アスファルトにたまった熱がまとわりつく。いつもと変わらぬ仕事終わり、家に帰ったらこんもり積まれた洗濯物が待っている。
◎ ◎
「はぁ」と思わずため息がもれた時、うつむいた顔にふうっと白南風が触れた。思わず顔を上げるとコンビニに貼られた夏フェスの貼り紙が目にとまる。
そういえば、幼い頃、この季節のうちにしておきたいことはたくさんあったなと懐かしくなる。そのひとつが、手持ち花火だ。春でも秋でも、はたまた冬でもなく、この時期にしたくなるというのはなんとも不思議である——ヨーロッパにいた頃はもっぱら、花火といえばニューイヤーというのがお決まりだったのを思い出す。花火から連想されるような、夜の海岸や浴衣、神社のお祭りといったものにはどれも夏の香りがじんわりと染みている。
◎ ◎
花火、とひとくちに言っても、下から見上げるあの大きな割物花火に特別の思い入れがあるわけではない。人がぞろぞろと出揃うあのぎゅうぎゅうの花火大会へわざわざ出向くのは、あまり気が進まない。家で浴衣だけ着付けておいて、アイスを片手に窓越しにながめるほうがよっぽどよいだろう——と言いながら高校の頃はしっかり花火大会にいってきゃっきゃとはしゃいでいたのだけれど。
実家の左手の方に屋根のついたガレージがあって、決まってそこで花火をしていた。誰ともなく手持ち花火が買われていて、色彩の騒々しいあの平たい袋がそっと玄関先に置かれていた。あとは誰かが言い出すだけで、お楽しみは幕をあける。夕飯の片付けがそろそろ終わるような頃。ねえ、もう宿題終わったし花火していいけ?姉妹のうち誰かひとりでも終わっていればゆるやかにゴーサインがでる。あとは花火の支度をするだけなのだが、ここからが難関である。
◎ ◎
花火の袋の中には、「おまけ」の空気をまとった背丈の低い頼りないろうそくが入っている。そのろうそくを地面の上に直立させて、火元にするのだ。まず、燈芯に火を灯す。まもなくその熱で芯のまわりがふにゃりと溶け出す。ここからは時間との手合わせ。腕をゆっくりと傾けると、蝋が地面にぽたりと溜まりをつくる。それが固まる前にろうそくをたてて、うまく土台がかたまれば上出来、という風だ——わたしは成功した試しが一度もないけれど。
蚊遣り火を灯してから、さきほど完成したばかりの光源をみなで囲う。めいめいが花火の穂先に火を点じてゆく。花火にも種類があって、一歩間違うとババをひいたような心地になるので慎重に選ぶ。先のほうの薄紙をついた花火は安全だ——すすき花火と呼ぶらしい。対して先に薄紙がついていない、ヤンヤンつけぼーみたいなもの。スパークと名付けられている。練り火薬を棒に巻きつけてあって、火をつけると気性の激しい線香花火のようにバチバチと火花を散らす。見るからに危なそうで、いつこちらに火花がとんでくるのかとひやひやするので、妹たちもわたしもこれを避けていた。
◎ ◎
気がつけば、人気のすすき花火はあっという間に最後の一本。惜しい気持ちと一緒にろうそくへと近づける。まもなくして、手の先でしゅうしゅうと光の稜線がはき出された。心地よいその音を鼓膜に通している間も、光束の色はあでやかに移ろう。ぼうっと眺めながら、あともう一色、と期待するようなあたりですうっと煙だけを残していった。興のあとに残された暗闇には、いくらか寂しさがあったような気がする。
こうした夕飯後のお楽しみは、夜の短い季節にだけ何度か催されたのだった。じんわりと積みあがったあの頃の記憶は、手持ち花火を縁どるわたしの夏の輪郭を、気付かないうちにすっかり濃くしていた。久しぶりに、花火の柄をにぎってみようか、そう思い立った私は弾んだ気持ちと一緒にコンビニへと足を踏み入れた。