友人からその地名を聞いた時、「それ、どこにあるの?」と思ったのが、その街の第一印象でした。調べてみると、なんと、私の住んでいる県にある街。ずっと同じ県に住んでいたのに知らなかったなと思いながら、電車で1時間半近くかけてその街に遊びに行きました。

駅を降りると、目の前には小さな山がそびえ立つそんな自然豊かな場所です。たった1時間半で、ここまで見慣れない風景に出会えるのかと感動しながら、友人と合流して、彼のおすすめのカフェに行きました。

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その道中、「この街は、絶対に楽しめる最高の場所だから。嫉妬するほどいいんだよ」と熱弁する友人。あまりの勢いに、少し笑ってしまったほどです。けれど、カフェで腹ごしらえをして、海へと向かううちに、彼の気持ちが分かるようになってきました。

駅を降りればすぐ山で、少し歩けば海がある。流れている時間も心地よく、街そのものに受け入れられているような気さえしてきたのです。まだ一度しか来たことのない彼が「第二の故郷」などと言ってみたくなる気持ちが、何だか分かるような気がしました。

浜辺は、夏の終わりの平日ということもあってか、人の姿はまばらでした。ほどよく白波を立てながら、浜辺と海原をいったりきたりする波の音だけが、辺りに大きく響いていました。

そんな光景を見ていると、電車で1時間半の距離にあるいつもの日常が、遠い世界の出来事のように思えてきました。

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「もう、どうでもいいよ。あとのことなんて、知らない!」

私は、タオルも敷かずにそのまま、浜辺に横になりました。足にも、髪にも、洋服にも砂がつくけれど、もう何も気になりません。スマホの中でじわじわとたまる通知も、明日には向き合わなければならない日常のことも、ここにはないのです。

今まで聞いたことのない街だったからこそ、どこを歩いても、言いようのない解放感がありました。海も、初めて見たかのような気分でした。

その頃の私の日常はというと、どこか息苦しく、常に急き立てられているような感じがありました。でも、ここには何もない。私の日常や、過去や、いま向き合っているものを想起させるものは、何もありません。まるで、世界の果てにやって来たかのような気持ちでした。

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「たった1時間半で来られるところなのに、すごいね。別世界に来たみたい」

高級なマッサージを受けているのでも、豪華な食事をしているのでもありません。楽しいアトラクションがあるわけでも、目を引くイベントがあるわけでもありません。でも、何もないのに、そのことが私を癒してくれるのです。

「ね、嫉妬しちゃうほどいい街でしょ」と、友人は嬉しそうに笑います。でもきっと、こんな街は日本中にあるのです。全く同じ街はどこにもないけれど、私が知らない街は、まだまだ沢山あるはずです。そして、そんな場所なら、きっと私はまた、「無」になれるのでしょう。

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いつもの行動範囲から、少し飛び出したところにある街。そこで過ごす時間は、私が何者でもなくいられる、心癒される時間でした。過去も未来もなく、ただ「今」だけがある時間。

どんなに行き詰まっても、たった1時間半でここに来られると思えば、それだけで何もかも大丈夫になる気がしました。心と体、両方の避難所を、一気に手に入れたかのようでした。

そして、まだ見ぬ避難所も、日本中にあるはずなのです。それなら、きっと、この先の人生も大丈夫。何があっても、日本中の避難所で過ごすうちに、私は、日常を生きていく力を取り戻せるのでしょう。そんなことを教えてくれたこの街が、今は一番好きです。