「自分嫌い」はもともと「両親嫌い」から始まった。小さい頃から喧嘩の絶えない両親を見て、こんな親のもとに生まれたからには自分の性格が悪いのは当たり前だと、親のせいにしていた。考え方が変わったのは、ある母娘喧嘩の果ての母の一言に拠る。大学受験にかかる費用に関しての言い合いだった。

「あんたの言ってることは理解できないし、わかりたくもない」

そう真顔で言われたとき、「あぁ、わたしとこの人は他人だ。わかりあうことはない」と、本当の意味で理解した。それからは他人に期待をしなくなり、嫌な気持ちは自分の内側に向かうようになった。順調に歩んで来た道が崩れる。受験に失敗しどれだけ罵られても言い返せない。「2位じゃだめなんですか」なんてフレーズが流行った。誰かのお金で生きているうちは、期待は投資と一緒で、そしてその投資のために頑張れなくなった自分は「自分のせいで、ろくでなしだ」と、感じるようになった。

ひっついてくる友だちも、異性から伝わる好意も気持ち悪い。人間関係が煩わしい。何をせずともお小遣いをもらえる周りの子どもがすべて羨ましくて腹が立つ。
学生時代はお金がなくて、図書館で本を読むのが趣味だった。そこから適切な人間の振る舞いを学び、学校生活は大きなアクシデントもなかった。でも、新卒入社試験で自己PRを求められると、自分の長所を言うのが苦痛で泣いてしまう。良いところなんか一つもないと思う。それでもなんとか就職した。お金があれば一人でも生きていける、もう大丈夫だ、と安心した。

仕事に慣れて、人の悪口が蔓延する飲み会で笑い合うたび、自分が嫌いになった。ならば本当に夢見た世界に行ってみようと転職を志す。一か八か叶えば、少しは自分を許せるかもしれない。

ギリギリまで悩んで、踏ん切りをつけるために初めての海外旅行をし、思うままに笑って生きる人たちをみた。そんな自分になりたくて、締め切り前日にエントリーシートを投函した。面接ではやっぱり泣いて、でも何故だか合格できた。

新しい世界で出会う人はみんな自信に満ち溢れていて、好きも嫌いもハッキリ言う。頑張った。評価された。仕事に慣れた。周りから祝福される一方で、「住む世界がちがう人だったんだね」と仲がいいと思っていた異性に言われて傷つく。

自分嫌いなわたしは、わたしを好きにならない人が好き

誇れるものがひとつもない30歳目前のわたしを、ずけずけ踏み荒らす人がたくさんいる。悪気はないとわかっている。女子会の前菜は、決まって恋愛事情の探り合いだ。そもそも人間が苦手なので差し出せるものなんかない。それでも笑ってごまかすしかない。勿体ないとか自信を持ちなよとか、いかにもな顔で口々に言われる。

自己肯定感なんて便利な用語も生まれた今は、みんな同じ言葉を投げつけてくる。自己肯定感をあげろ、自己肯定感をあげろ。社会が規定するハードルが高くて追いつかない。自分嫌いなわたしは、わたしを好きにならない人が好きだ。捻くれている。

卑屈。かわいくない。もう自分まるごとコンプレックスだ。
だけどそんなわたしだから見えるものがあり、本や映画や旅に涙することもできるのだと思うと、悲しいけれど仕方がない。何が欠けてもわたしにはなり得なかった。

わたしなんか嫌いだけど、わたししかいないから

映画『ボヘミアン・ラプソディ』にみる、愛してくれる人に囲まれていても孤独だという感情、今は少なからず理解できる。昔はLGBTの人に対して「どうしてそんな辛い道を選ぶのだろう」と思っていた。でも、社会に許されなくても、関係ないのだ。わたしたちはわたしたちの道しか歩けない。周りと同じじゃない自分が不安でも、それが個性だ。許す許さないの問題ではなく。

今でも答えは見つからないから、わたしなんて嫌いだけど、わたししかいないから寄り添うよと、自分をなだめて生きている。

どうすれば自由になれるのかはわからない。せめて周りに流されず、背筋を伸ばして生きていくしかない。悩みながらたどり着いた自分の今と未来を信じる。最期はどうせ、みんな独りなのだから。

ペンネーム:路地裏