友達が就職せず大学院に進学することを決断したらどう感じるだろうか。

頑張り屋さん?
勉強好き?
それとも、変わり者?

私も今年の春、文系の大学院に進学した。
院のゼミの同期には友人Aがいる。同じ大学にも通っていた。
気が利いて優しく、明るく、笑顔が可愛らしい女の子だ。

お互い進学への不安もあったが、私は教員、彼女は学芸員になる為に、進学する目標のために頑張ろうと、日々励ましあっていた。

大学院が始まると、所属したゼミは先輩の層が厚くなく、何もわからない状態でいきなり教授の授業の手伝いやゼミ合宿の幹事を2人で任された。自分の研究や授業の課題もあって、思いがけず苦しい日々が続いた。自分の教授が担当する授業で発言を求められても準備不足でうまく考えを伝えられず、的外れな発言をし、周りから意見が活発に出ない日も少なくなかった。

かなり苦しい部分もあったが、勉強や研究は楽しく、新しいことが学べた。前期が終わる頃には後期からは更に頑張ろうと日々燃えていた。

そんな中、初のゼミ合宿。
大学4年生の後輩。ゼミを卒業した先輩達。色んな人が来た。
私もAも、幹事として上手くいくか不安で前日は寝られなかったが、行ってみれば案外楽しく合宿を大満喫していた。
と思っていた。事件は初日の夜おこった。

Aの突然の告白「大学院になんか行かなきゃ良かった」

女の先輩の部屋に行き、3人で女子会をした。日頃の大学院での愚痴や授業での話し合いがうまくいかないことなど。愚痴を聞いてもらってすっきりしようという程度で私が話し出すと、突然Aが涙目になった。
「辛いんです…!!」
「もう、大学院になんか行かなきゃ良かったな。そう何度も思ったんです」

大学院のゼミの友人Aが大泣きしながら叫んだ言葉に、衝撃を受けた。
Aの話によると、就職した友達に会うたびに「まだ学生だから遊べて、余裕あっていいよね」「私なんてめちゃくちゃ辛いよ」と言われる。その度に「自分は就職している人に比べたら、楽をしているのかな」と思い、大学院も大変だよと言い返すことができない。周りに相談できない。という話だった。
「いや、ここに相談できるやつおるやん…初耳だよ…」と地味にショックを受けつつも、私はAの友人とされる人物の言葉に衝撃を受けた。「友達」がかける言葉なのか。

「辛さは相手と比べるものじゃない」

もちろん人によっては
まだ学生=社会人より暇=遊べる
という公式を頭の中で作るような人もいるかもしれない。しかし私達自身も学生であることへの焦りや取り残されているような感覚がある中で、研究や勉学に励んでいるのだ。遊ぶために就職を先延ばししていないし、この劣等感のような思いを常に抱えているのだ。みんなが「何者」かになっている一方で「何者」にもなれていない私達に「まだ学生だから、遊べるね」という言葉は禁句だということがわかるだろう。

私は大学院に進学してから2か月経った際にかけてもらったある友人達の言葉を胸に刻んでいる。
「辛さは相手と比べるものじゃないよ。院生には院生なりの大変さがあるんだから。自分を卑下しないで」
つい、大学院にいる自分と就職してバリバリ働いている友人達と自分を比べていた。その友人達は1人は小学校、もう1人はコンサルで働いていて、早く帰れない日も多い。そんな2人に向かって、大学院も大変とか言っていいのか。下を向く自分の背中をぴんとさせてくれるような言葉だった。

Aにこのエピソードを話したが、「優しい友達だね」と力なく笑うだけであった。

そんな彼女、後期が始まるとなんだか吹っ切れた様子に。教授が自分の努力や頑張りをわかってくれていたことが理由だった。彼女が悩みを打ち明けたあと、教授はきっとこの言葉をかけたんだろう。
「君は頑張ってるよ」
ありふれているけど、大人になったら中々かけられない言葉。彼女はずっと求めていたんだなあ。

苦しみははかれない。
でも苦しい本人からするとそれは何にも耐えがたいこと。
それは経験してない相手は推しはかることもできないけど、かといって自分の苦しみと比べることもできない。寄り添うことしかできない。いや、寄り添って認めてもらうだけで人は心が軽やかになるんだ。
人に傷つけられた痛みは、人にしか癒せないんだから。

今度は私が寄り添う番。
劣等感を吹き飛ばせるように!

ペンネーム:chika

しがない大学院生。美容院に行くといつも変な空気が流れるから、ファッション誌を文学作品のごとく熟読してしまいがち。

Twitter:@shuratarou