リボン、フリル、ピンクは私の敵

幼い頃、私にとってリボンとフリルとピンクは敵だった。「女の子の象徴」として掲げられがちなそれらは、私が身に着けるにはふさわしくないものだと思っていた。だって私は、可愛くないから。
美人な姉と可愛い妹に囲まれ育った子ども時代。私は常に劣等感を抱いていた。私は可愛くない、不細工、女の子らしくない。だから可愛いものは身につけちゃダメなんだ、可愛くなっちゃだめなんだ。そう思い込んでいた。
そんな私の思想に拍車をかけたのは、きっと母だ。
「もっとお姉ちゃんたちみたいに綺麗にしなさいよ」
実はこれ、つい先日も言われた言葉。ということは、私の子ども時代にも言ってたんじゃないかな。覚えてないけど。遠回しに「汚い」と言われたようで、思わず「ブスで悪かったな!」と叫んだ。一応同じ母から産まれたんですけどね、どうしてこう違ってしまったかな。せめて嘘でもいいから「かわいいかわいい」と言って育ててもらってたら、少しはなにかが変わっていたかな、なんて今更だけど。

オシャレは怖い。可愛くない私が可愛くなるなんてダメ

リボンやフリル、ピンクが怖い私が選んでいた服はもっぱら、青や黒の服、デニム生地の上着やパンツ、スニーカーだった。姉からおさがりでもらった洋服からできるだけ地味なものを選んでいた。女の子らしい、可愛らしい、を避けていた。
中高の制服も周りはアレンジして着ていたし、スカート丈だってかなり短かったし、化粧をしている子も多かったけど、私は校則通りを突き通した。出来れば地味に、ひっそりと、目立たないような恰好がいい。オシャレは怖い。可愛くない私が可愛くなるなんてダメ。
そうやって縛って縛って18年。高校を卒業した私は、九州から東京へと旅立つことになった。

私に希望を与えた東京という街

私が少しずつ変わっていったのは、東京に出てきてからだと思う。まず、大学入学の少し前から「大学生になったらメイクするっしょ。校則ないんだし」だとか「メイクできないと恥ずかしいよ」と言う姉や友人押され、メイクをし始めた。言われるがままファンデーションを塗りたくり、目の上に漆黒のラインを入れた。周りからの圧に負けた結果とはなるが、これが私の「オシャレデビュー」である。
加えて、制服を脱ぎ捨てた大学生たちは、毎日私服だ。周りには好きな服を好きなように着飾る人たちに溢れていた。
そんな中「一緒に服買いに行こうよ」と言われ、友人と買い物に行ったことがある。「背が高いんだし、ロングスカートとか合いそう」そう言い彼女は私にスカートを勧めてくれた。自分では選ばないようなスカート。女の子らしい衣服の象徴。似合うわけない思う反面、彼女が勧めてくれるなら、という気持ちも湧いてきた。何よりそのスカート、とっても可愛かったのだ。地元のイオンにはない可愛さ。似合わなくとも、着てみたかった。今までおさがりばかりだった私が、「自分基準の可愛い」に触れた瞬間だった。
ブスでも可愛くなっていいのかもしれない。好きなように着飾ってみたい。19歳、ようやく私は少しずつ「オシャレ」に挑戦してみることとなったのだ。

28歳、初めてのピアス

だけどまあ18年間オシャレを避けてきた私がそれに慣れるのには、本当に時間がかかった。もともとのオシャレセンスもないので、「あれなんでこんなの買ったんだっけ?」という服もたくさんある。好みの服装がわかってきたのは、社会人になってから。ヒールの靴を買ったのもここ2~3年。スカートを頻繁にはくようになったのもここ1年ぐらい。
そして今年ようやく、アクセサリーに手をつけてみた。28歳、初めてのピアス。耳に揺らめくクリスタル。可愛くなるのが怖いと思っていたあの頃を思うと、感慨深いものがある。リボンやフリルはやっぱり今でも着ないけど、敵ではなくなった。

私たちは「世界一かわいい」

顔がどうであれ関係ない。私たちは私たちが「かわいい」と思うものを身に着ける権利がある。そして、それらを身に着けた私たちは、誰がどう思おうとも、胸を張って「世界一かわいい」。

 ペンネーム:なつぺぃ

ぺーいと鳴くネコ、もとい普段は仕事に追われる社会人。
書くことで、君も、私も、救われればいいのに。
20代最後に足掻いていきたい。
Twitter:@ntpeeeei288