私は幼い頃から性に関心の強い子供だった。誰かに教わった訳ではないけど幼稚園児の頃には既に自慰をしていた。私の凹と男子の凸がなんの為に存在するかわかっていた。私は子供が知らなくていい、よくない事を知りすぎた立派な「悪い子」だった。と同時に、世論と常識をそれなりにわかっていたマセガキでもあったから、湧き上がる関心に蓋をして「いい子」なフリをしていた。
周りの大人を騙し、同級生も騙した「いい子ちゃん化計画」
小学校に入学し、父と母が離婚した。父に代わって自分が母を守らなくてはと悩みに悩んだ私は365日、常に「いい子」でいることにした。正真正銘の「いい子」にはなれなくても「いい子」のフリを完璧にして、母を喜ばせたいと思った。そこから私の「いい子ちゃん化計画」が始まった。
夜ご飯には何が食べたいかと聞かれるときまって「ママの食べたいもの」と答えたし、誕生日プレゼントも母のお給料で買えそうなオモチャを選んでねだった。我儘も言わない、性に関心なんてあるはずが無い、天使のような子だった。
頑張った結果を褒められる事に喜びを感じていたし、「育て方が上手いのね」と母の母親としての周囲からの評価が上がる事も、私が「いい子ちゃん化計画」を徹底する動機になった。この計画は徐々に上昇気流に乗り、気がつけば私はエリート小学生になっていた。どこから見ても完璧な、「いい子ちゃん化計画」の完成である。
周りの大人達を騙し、自分自身を騙したこの「いい子ちゃん化計画」は、中学に上がる頃には同級生をも完璧に騙した。私はこのビジュアルで貰えうる最大限・最大量の好意を男子達から頂戴した。大人っぽくて素直でいい子の私、は小中学生の男子にとって初恋の相手に相応しいようだった。
モテ期の到来が嬉しい反面、私の精神状態は好意をぶつけられればぶつけられるほど徐々に不安定になっていった。「いい子ちゃん化計画」完成の末に誕生した「いい子」の私ばかりが愛される事に、心の奥底に軟禁したはずの本来の「悪い子」が不満の声をあげ始めたのだ。でも今更「実はエッチな事が好きなんです」「官能小説めちゃくちゃ読んでます」なんて口が裂けても言えなかった。
自分自身を長年縛り付けた計画は、もはや重たい鎧になっていた
女子が性的な事に関心を抱いたり、男子と手を繋ぐ以上の行為をしても一般的に良しとされる年齢になっても、私はまだ「いい子ちゃん化計画」に固執していた。自分自身を長年縛り付けた計画がもはや重たい鎧のようになっていて、脱ぎ捨てることに恐怖を感じていた。
けれど「いい子」のフリを続けることも、もう限界だった。本当の私を見て欲しい。異性にも同性にも、母にも、本来の私を愛してもらいたい。「悪い子」と「いい子」が共存出来なくなった私の心は、文字通り精神崩壊した。
けれど、文章を書くようになって、エッセイや短歌や小説に本来の私の言葉をぶつけるようになって、それらを愛してくれる人が世の中に少なからずいるということに驚いた。性欲や闇や寂しさダダ漏れの文章に共感し、「悪い子」の私の紡ぐ言葉が好きだと言ってくれる人が周りに増えた。
「悪い子」モードの時の私は個性的で、とても魅力的だ
私は未だに「いい子ちゃん化計画」を完全にはやめられてはいない。けれど文章を書くことによって、本来の私の欲求不満が徐々に解消され始めている。もう今は、「創作活動は私にとって自慰と等しい」なんて刺激的な発言をしても「貴女らしいね」とまで言われるようになった。「悪い子」モードの時の私は個性的で、とても魅力的だ。
こんな人間になりたい、と目標を持ってそれを目指して努力する事は尊いけれど、本来の自分を殺そうとしてはいけない。それに猫を被ったまま生きていたらただただ呼吸が苦しくなるだけだ。そのままの私を愛してもらえることがこんなにも気持ちの良い事だなんて、数年前の「いい子」の私は知らなかった。