田舎出身、顔面は里芋の煮っ転がし、素直でバカ真面目で疑う事が苦手で、誇れる事は「普通とは何か」を考える講義で提出した考査用のレポートが満点だった事。それでも私は3つ違いずつの兄と弟と比べると出来損ないだったので、一発逆転、親から褒められたいが為に就活の準備をガッツリしていた。

兄は一浪して東大文科一類に合格した。成績優秀だった為に予備校のお金は免除となったレベルで、うっかり模擬試験の結果を見たら満点とか、満点マイナス2点とかばかりだった。私はノー勉偏差値で入れる女子大を選んで進学していたので、そこで既に人生に対する本気度が違う事にびびった。兄に勝って親から褒められたかった。その欲求が強かった。

女の子なんだから家事の手伝いをしなさい、女の子なんだからスカートを履いて正座で座りなさい、女の子なんだから女の子なんだから。娘で長女で女の子だから、嫁姑問題に巻き込まれ、食卓は母と共に下座でお風呂は男衆のあとで、生理の日は湯船に浸かれなくて古い日本家屋のタイル張りの風呂場で凍えながらお湯を浴びていた。

私は女だけど、出来る女なのだ。そう証明がしたかった。

「私にチャンスが回ってきた」と思った

兄は東大に入ってからが苦労の連続だったようで、安直に言えば燃え尽き症候群。大学と一人暮らしの部屋の往復のみの毎日。友達は0人。実家にもどり引きこもりとなった。

私にチャンスが回ってきたと思った。社会経験の為と親の反対を押し切ってバイトを始めた。風邪でも生理痛でも簡単には休めない事を知り、とにかく食べて寝てホルモン治療としてピルも飲み始め、「働く事」を意識した。
就活が解禁されると黒髪ボブは里芋の煮っ転がしに似合うし、賢そうな黒縁メガネは気に入ったし、元々スーツは好きだったので張り切って合説に赴き、ESの為に自己分析をしてSPI対策にしっかり勉強した。

なんて出来た女学生だろう。ズルをするなんて考えは微塵もない、真面目で真摯で清廉潔白な私だった。結果から言おう。私は志望業界の会社全て落ちた。最終面接まで漕ぎ着けたのは1社のみで、やはりそこも落とされた。愕然とした。

SPIは頭の良い知人にやってもらって、ESや面接でのエピソードは盛りに盛った話で、GD(グループディスカッション)はSNSで議題を先に調査し、そして皆合格していったのだ。
社会や会社が求めているのは真面目で真摯で清廉潔白な学生ではなく、うまーくうまーく世を渡れる人材なのだと知った。途端に自信に満ちあふれていたスーツ姿も黒縁メガネも黒髪ボブも大嫌いになった。そもそもヒール5センチが一番脚が綺麗に見えるってなんだ。私は脚の病気でヒールは厳禁だ。脚が綺麗ならお祈りされないのか。馬鹿馬鹿しい。

私は間違ってなかったと思いたい

私は夜寝られなくなっていた。耐えられないと人生初めてメンタルクリニックに受診した。たまたまカウンセラーさんが居て、話を聞いてくれた。
「ズルをしていた他の就活生に対して何を思ってる?」無様に鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔で「皆最後に落ちればいいのにって、思います」と答えた。
カウンセラーの先生はその私の困った笑い顔に貰い泣きをしていた。「恨んでも良いのよ」「恨む価値もないと思ってますから。私は間違ってたかもしれないけど、間違ってないと思いたいんです」「そう」

めんどくさい正義厨だと笑うだろうか。「お天道様が見てるから悪い事はしちゃダメよ」日本的なこのセリフが染みついていた私は、社会が信じられなくなっていた。

中途採用のブライダル職も長続きしなかった

卒業間近になんとか内定を貰った会社は事業内容がとてもグレーで吐き気を催して出社できなくなった。実家に戻って人形のように笑わず食べず寝たきりの療養生活をした。新卒就活で失敗すると、社会的に失敗例になるのだなと思った。

そこから私は2度中途採用でブライダル職に就けるのだが、長続きはしなかった。不眠症、鬱病を経て、双極性障害になっていたのだ。
明るく飛び切りの笑顔で受け答えをしていた面接の時期は躁だったのだ。躁があれば鬱がくる。休職して最終的に退職。職歴を書けば数年の空白と数ヶ月の就労のみで成り立つものになった。

好きなことを仕事にしたい、興味のあることを仕事にしたい。それだけじゃダメだった。
会社も本音を言えよ、入社直後から即戦力になる従順でタフでガッツがある奴が欲しいって。多少のズルはしても上手く立ち回って結果を出せる奴が欲しいって。
本音と建前。実に社会の縮図だな、と思った。

就職して働く、容易ではないなと実感した

そんな私は29歳、今年30歳になるが今は無職だ。やりがい搾取で低賃金でバリキャリしてたら体を壊してしまった。精神障害については開示しないクローズドで入社していた為、少しややこしかった。

就活。ハイにならなくても、鬱にならなくても、ズルをしなくても、自己分析で落ち込まなくても、働ける場所は必ずあるのだと思うけど、それに巡り合うまで幾年かかるのだろう。
私もギリギリの状態だ。何より医療費を稼がないと生きていけない。それでも稼ごうとすると悪化するのだ。
勤労の義務のある国に生まれた。専用のウルトラマン的スーパーアドバイザーが欲しいところである。新卒のレールから外れると詰んだ感があるのも問題だ。

日本は好きだが、この国で就職して働くのは、本当に容易ではないな、と実感している。
結局兄は本の梱包をするバイトをフルでして東京でなんとか一人暮らしをしている。この春からは弟は弁護士として東京の家賃10万円の部屋を借り、ほぼ寝に帰るだけのハードな日々を送っている。
お姉ちゃんもなんとか足掻いて、私が私でいられる仕事を、せめて30歳になるまでには見つけたいな。ゆるゆる頑張っていくよ。就活生よ、挫けそうになったら酒を飲みに行こう!