20代に入って数年が経ち、うまれて初めて父親が左手の薬指に指輪をしている瞬間を目にした。幼少期のアルバムを遡っても見たことがない。コーヒーカップを持つ左手にあるシンプルな指輪は、いやらしく光っていた。
「この歳で悪趣味な」そう声を出してしまいそうになったけど、喉元で止めた。代わりに、咄嗟に出た言葉は皮肉。「指輪しているんだね」と声をかけると、父親はニヤつきながら、“娘”の前で惚気話を始める。父親の惚気なんて聞いていられるか、だって“私の知らない再婚相手”との結婚指輪だから。
久しぶりに会った父親は再婚していた
もう「元父親」だ。
久しぶりに父親と会う必要があった。母親と父親が正式に離婚の手続きをして、それから数年間連絡を取っていなかった。離婚に至った理由はいくつかあるけれど、一つは私に対する虐待。
これから私も結婚をする予定だ。偶然だった。父親は全く知らないし言うつもりもない。結婚の報告をしに来た訳ではない。久しく会った父親から出るのは、全部浮ついた話ばかり。
「もう子どもがいるから」とへらへら笑う父親を見ていると怒りが湧き出てくるが、腹違いのきょうだいと新しい妻の話を延々とされると、次第に腹が立っている自分が馬鹿らしくなってきた。なぜ、この人は再び家庭を持てるのだろうか。私たちが受けた悲しい虐待を繰り返さないのか、見知らぬ20歳以上離れた腹違いのきょうだいに対して、子どもだけはどうか無事でと祈ることしかできなかった。
私の父親は彼一人だから、変わってくれると信じていた
父親から受けた過去の傷が癒えていないのに、塩を塗り込まれて、その上から熱湯をかけられたような気分だ。父親が見知らぬ女と再婚をしていて、さらに子供もいると聞いて驚愕だった。感情的にならないと心に誓っていたはずだったが、最後の反抗期と振り絞って、彼の娘でいることをやめる決意をした。
20年以上経ってようやく決心がついた。虐待をされてきたのに、「私が良い子でいたらいつかパパは認めてくれるはず」と幼少期から信じていた。ティーンエイジャーになっても裏切られ続け、それでも心の片隅で期待を抱く。20代になっても、私が社会人として働いている姿を見せたらどこか変わってくれるだろうと思っていた。私の父親は彼一人だから。だけど彼は変わらない。何度言われたかわからない「お前は失敗作だから俺の子どもじゃないよ」を再び耳にする。
父親は、「元父親」になった
「わかった、じゃあ今日限りで苦しかった君の娘をやめるね、さようなら、もう一生連絡しないで」
やっと、ようやく、吹っ切れた。少し胸が痛んだが、本人に言葉を向けることが出来て清々しい気持ちだった。「お前は失敗作」という言葉を久しぶりに言われて、淡い期待をしていた自分が馬鹿だったと冷静になれた。この人は一生変わらない。私も前に進もう、彼が新しい家族を作るなら、私も自分の家族を持つ。
20年以上苦しめられた「元父親の良い娘であること」の呪縛から、少しだけ解き放たれることができた気がした。黙って新しい家族を作っていた元父親に対して、悲しみや憎しみや悔しさが湧いて出た。だけど全てどうでも良くなった。私のこれまでの努力は、これからの生きる勇気に変換する。
自分の幸せの基準は自分で決めれば良い
家族のカタチは人生の中で何度も変化をする。時々に合わせて。
自分で新たな家族を築くことだって出来る。私は過去の血のつながりがある家族を切り離して、血のつながりのないパートナーを家族とした。血のつながりなんて関係ない。
私の幸せは他人の評価で決められるのではなく、自分で幸せの基準を決めれば良い。パパに認められなくても、私は私で生きることが出来る。私は、自分で決めたパートナーと「家族」でいることが幸せだ。
20年以上がんばったね、良い娘であること、お疲れ様でした。