私は自分の顔が嫌いである。
私は小さな頃から自分の顔、特に重い一重瞼が嫌いだった。コンプレックスの塊っていうやつだ。小学校の頃、男子から「地味だよな」と正面から言われるし、友達と撮った写真は目を見開いたつもりなのに目が糸のように細くてもう写真も撮りたくなかった。

アイプチでごまかしたって所詮私は一重のブスという劣等感は消えなかった

鏡で見ている自分は目を見開いて、自分にとっていいように映っているが、写真の中の自分は人から常に見られている自分である。自分ってこんな顔だったのだとびっくりしたと同時に悲しくなった。
中学校に入って髪もストレートアイロンで引き延ばし、アイプチをして学校に通うようになった。
もろバレなアイプチをして笑われたくないという自尊心も持ち合わせていたので、控えめに奥二重になるようにアイプチをして学生時代を過ごした。
結構自然にアイプチできていたので友達からは「奥二重でいいね」なんて言われたこともあったが「でも○○ちゃんのほうがいいよ!うらやましい!」などと言いながらごまかしてきた。アイプチでごまかしたって所詮私は一重のブスという劣等感は消えなかった。

短学を卒業し、就職した。初めて彼氏もできた。そこで起きるのがお泊り問題であった。
今までは女同士だし、風呂ではアイプチをつけたまま入ったり、寝起きも一番に起きてアイプチをしたりしてなんとかごまかしてきた。けれど彼氏とのお泊りの場合は寝起きの顔を見られたり、一緒に風呂に入りたいと言われたり、ごまかし不可の状況が生まれることが多くなってきた。このころから整形を本気で考え始めるのだった。

整形後は何も言われず、え?と拍子抜け

もちろん整形のことは物心ついたときからずっと考えている。しかし整形後のダウンタイムのことを考えるとなかなか踏ん切りがつかなかった。
そんなある日、美容整形クリニックの二重瞼にする埋没手術の割引広告が目に入った。
思い立ったら吉日、3連休を確保し、仕事終わりの足でそこへ行き、二重瞼へと整形した。整形後のダウンタイムは3日で乗り切った。今思うとすごい行動力である。

体にメスを入れて、切って縫った跡が3日間だけでおさまるはずはない。目はポンポンに腫れていたが眼鏡をかけて出勤した。今日一日はなるべく下を向いていようと努めた。
なにか言われるかなとビクビクしていたが、「今日眼鏡なんだね~」くらい。
え?と拍子抜け。一日過ごしたが「整形した?」と聞いてくる人はいなかった。

整形前の自分の顔も本当は肯定されたかった

これまで自分をブスだと書いてきたが本当は自分の顔はあの子よりマシとか、この一重瞼さえ整形することが出来れば私は可愛く生まれ変われると思っていた。目以外の顔のパーツは負けてないって思い込んでいた。
でもとんだ自意識過剰だった。目を変えたところで誰にも気づかれない。可愛くなったわけじゃなかった。ただの自己愛の塊だった。

本当は私は自分の顔が好きだった。他人からも認めてもらいたくて仕方がなかった。可愛いってそれだけ言ってもらいたかった。元の顔でも愛されたかった。
だから私には一重瞼がいらなかった。ほかにも鼻だったり口だったり輪郭だったり、人には様々なコンプレックスがあると思う。そのどれかひとつでも解消することができたら自分は愛される人間になれるんじゃないか。ずっとそう思ってきた。

でも実際は私の顔なんて誰も見てなかったのだ。
気にしていたのは自分だけで、変化に気づいてくれたのは小学校から付き合いのある友人だけ。化粧もアイプチもしたことのない顔を知っている友人だけは「変えたね~」とそれだけ言った。その友人はそれ以上のことは何も言ってこなかった。『整形して良くなったね!』なんてことは言わなかった。
そこで私は、自分だけが自分の顔のことばかり考えていたのだなと分かったのである。他人にとって私の顔のことなんてどうでもよかったのに、私はずっと、一重瞼が悪いからと思い込んで卑屈になって人生を過ごしてきてしまった。

今の私は前髪をあげておでこを出して笑えている。前髪で顔を隠したり、つけまつげで目の周りを黒く塗りつぶすこともしなくなった。整形をして、顔面のコンプレックスは大分緩和されてきた。自分の顔の嫌いなパーツがあるのなら思い切って変えてみるのはすごくいいことだと私は思う。自分の顔は自分が一番わかっているのだし、自分の顔をもっと愛してあげるためには整形もアリじゃないかと思う。自意識過剰な自分をも受け入れられたら人生はもっと送りやすくなるはずだから。