今、日本で可愛い女の子の条件とは何かと問われたら、なんと答えるだろうか。
私は、おそらく、「二重」であると答えるだろう。
パッチリ二重に大きな目、そして色白の肌。
「二重でないと可愛くなれませーん」
そんなこと誰も言っていないのに、みんな二重になる呪縛に取り憑かれている。
二重でないだけで、一心不乱になってしまうのだ
知っている人は知っていると思うが、二重は作れる。
アイプチというのりを使い、まぶたを接着させることで二重はできるのだ。
しかし、こののりでつけるのは技術が必要で、乾かす時間やつける分量など、一重女子はみんな修行するのだ。
少し前までは私もアイプチ愛用者の1人だった。
アイプチをしないと外に出かけられない。アイプチののりは値段もかなり高い。ランニングコストもかかるし、朝は忙しくメイク前のアイプチの調子次第で顔の出来が変わっくる。うまくいかなかったらのりをぺりぺりととり、やり直し。
なんで一重ってだけでこんなに苦労をしなければならないのか。
大袈裟かもしれないが、のりをとるときに虚しくなり、泣いたこともあった。
親のせいにしたこともあった。
なんで産むときに目の上に線を入れてくれなかったんだ!
そう、二重でないだけでこんなにも、一心不乱になってしまうのだ。
でも、それはただ可愛くなりたいという気持ちと同じなのだ。
みんなが二重にしているなら、あえて一重もいいんじゃない?
なぜ、私が二重をやめたのか。
それは、二重にかける時間をこれからも続けていかなきゃいけないと考えたとき、無理だと思ったからだ。
OLになればさらに時間は無くなる。二重を作っている時間のせいで遅刻など、馬鹿みたいだが十分にあり得る。
私はなんのために生きているのだろうか。誰のために二重を作っているのだろうか。
結局は自己満足だったのだ。誰に見せるためでもなく、二重にすることで、違った自分になれた喜びが大きすぎたのだ。
そんなこんなで、色々と考えているうちに馬鹿げてきたのだ。
もちろん、二重の方が可愛いという思いは一生消えないだろう。
でも、自分の顔は唯一無二だ。みんなが二重にしているなら、あえて一重もいいんじゃないか?むしろ貴重なんじゃないか?
私はそう思うことにした。
世の女子達よ、どうだ?
アイプチと格闘する朝はどうだ?
もうやめてみてもいいんじゃないか?
よく頑張ったと思うよ。
私は少なくともこっちの人間になって楽になった。
朝は神経を使って二重を作らなくなったことで、メイクも時短になった。
笑うときや夕方になった時でも、鏡でのりが剥がれないか心配することもなくなった。
思い返せば今年の夏は汗で二重がとれないか心配の連続だった。
だからさ、明日はアイプチをやめてみない?
それはそれで、余計なお世話かしらん。