自分の好きなことを仕事にしたい
将来就く仕事は中高の教師、そう決めていたはずだった。

高校の頃にすごく古文が好きになった。
きっかけは面白い先生たち。
教育実習生の授業を受けると「ここをもっとわかりやすく教えてほしいな」なんて思うことも多くて、これは私が将来理想の授業をすればよいのでは?と生意気すぎることを思ったのが最初。
教師になりたいことを相談したら大学院に行くことを勧められた。私は尊敬する先生の言葉をまっすぐ信じたまま高校を卒業した。

大学1年目はその思いを貫き、先生の示してくれた将来の道筋を疑うことを知らなかった。2年目になるとその勢いもあっという間に失せた。とにかくサークルの活動と人間関係で頭がいっぱいになった。
あれ?こんなんで大学院行けるのかな?てかなんで大学院行きたいんだっけ…あれ?
そんなふうに思うようになった。

はっきり院進以外の将来を考えはじめたのは、2年の終わりごろ。サークルの先輩と飲みに行ったときだった。サークル内ではコミュニケーションが取りづらく厄介者扱いされていた先輩が大手インフラ企業に就職を決めたことを知り、彼への印象は「コミュニケーションの取りづらい先輩」から「凄い先輩」へと簡単に変化した。

こんなにも簡単に人の評価が就職先で変わるのか。両親が実は収入が少なくて色々と切り詰めて生活していることを知ったのもあって、早く稼げる凄いキャリアウーマンになりたいと思うようになった。経歴をみただけで先輩後輩同期に認めてもらえるような、<凄さ>を私は求めた。
大学院に行って、ブラックで地味な教師なんかならない。私にはもっと別の輝ける場所があるはずだと。うぬぼれもうぬぼれである。

就職のために動き出したのはは同期の中で一番早い、3年の5月から。
サークルの活動にも遅れて顔を出すようになり、その度に「説明会が~」「インターンが~」と同期後輩に説明した。その時の顔はいわゆる「どや顔」だったろう。同期からは「え、偉」「やべ~」「俺も真面目にやんなきゃ」など。私をハブってけむだがっていた同期の男が一瞬でも私のことを見直したのではないかと思うと気持ちが良かった。私は完全に調子に乗ったまま就職活動本番に突入した。

違和感をスルーして、まやかしの言葉を継ぐ

始めてみると中々どうして、滑り止めの企業なんてものも受からなかった。
あれ?

とにかく焦った。

なんとか5月の終わりごろに志望度が高い企業で順調に進んだところがどうにかでてきた。そのころになってくると同じ業界を受けている知人などもでき、少し話したりすることも。「〇〇になってこういう人に貢献したい」「世の中の〇〇を良くしたい」など、様々な熱い想いを聞けば聞くほど自分はそんな想いとは違う気持ちで突き動かされて就活をしていることに気づかされた。違和感にそっぽを向けたままとにかくがむしゃらに頑張った。

6月の終わりごろ、内定ゼロ。
順調に進み最終面接まで進んだ企業も、たった10分話しただけであっさり落とされた。同期はほぼ内定が出ていた。
「君なら大丈夫だよ」。そういわれ続けた私が。どうして。

「世の中の助けになりたい」
貼り付けた笑みで滑り出た言葉はすべてまやかし。
「(名だたる企業の社員として)世の中の助け(になって私を馬鹿にしてきた奴らに凄いって言わせられる人間)になりたい」
ほんとはこれ。今思えば企業に対しての思い入れも、それほどなかったと思う。

承認欲求の鬼と化した

大学で頑張っていたサークルもただ好きでやってたはずだったのに。特定の同期からの「調子乗ってる」「そのうち絶対でしゃばって仕切りだすよ」などの陰口。認められない経験が積み上がった。そうやって馬鹿にしたやつらを絶対に許せなかった。サークルで認められないなら、他で認めさせてやる。結局サークルに顔を出さなくなったのも私が認められて輝ける場所ではなくなったから。いつの間にか承認欲求の鬼と化していた。

多くの人に認められることは仕事のやりがいに繋がる。でも思い入れのない仕事をしてまで、認められたいのか。私は好きなことも、何がしたいのかもわからなくなっていた。

結局、就活中にあった教育実習の中でずっと心のどこかにしまっていた教師になりたかった私の気持ちを思い出した。授業を見学すると、自分の知的好奇心は刺激される。中々帰れない日が続いても、厳しい言葉をかけられても、放り出したくなることはなかった。認められたい、という気持ちを少しの間だけでも忘れて、頑張ることができた。自分の本当にやりたいことは、やっぱり学校の中にあった。
この時の経験を忘れずに、大学院に進学した。かなり辛いこともあるけど、「教師になったら◯◯しよう」が増えてやっぱり楽しい。

私を馬鹿にしたやつは、一生私を馬鹿にしていればいい。そんな人に認められたって意味はないのだから。