小さい頃からよく怒られていた。
大事にされていたのだと思う。両親はよく遊んでくれた。本を読んでくれたし、身体を張った遊びもたくさんしてくれた。色々な場所に連れて行ってくれて、たくさん一緒に旅に行った。それでも、よく怒られていた。

父は、苦労の多い労働環境のせいか生まれつきのせいか、よく怒った。私は、怒られないように気をつけた。それでも、やっぱり怒られてしまうこともあった。10代のうちは、怒られることを、時に無意識に時に意識的に怖がりながら毎日を過ごしていた。ただ、怒られることへの疑問は感じなかった。私は、親の助けもあって、いわゆる超進学校に進学し、大学も一流と言われるところに入った。そして、教育は私を変えた。私をずっと、客観的にした。私は、怒られる事への疑問を感じるようになった。

本当は、人を怒る前には一瞬の自己反省タイムが必要なのだ

怒る、とは何か。
私は、怒るとは、相手に不快感を伝える手段であると思う。でも、怒るタイミングと動機、それは人それぞれなのではないか。

お気に入りのケーキを食べられた、なんていうかわいらしい事でもいい。あなたは、ケーキを食べた犯人を怒るか。本当は、人を怒る前には一瞬の自己反省タイムが必要なのだ。もしかしたら犯人は、あなたのものと知らないで食べてしまったのかもしれない。しかも犯人は、今日仕事で辛い事があって、相談しようとあなたが家に帰ってくるのを待ちながら食べていたかもしれない。

怒るのは簡単だ。怒鳴って叩いて相手を脅して、傷つく言葉を吐けばいい。でも、怒るとは自分を自分の感情に任せ、理性を失った状態で相手を傷つける事だ。そう、結局怒りとは、相手を傷つける事が目的なのではないか。あなたが怒るその前にあなたに聞きたい。怒らないで、話し合いで解決しない?あなたはケーキを食べた犯人を怒るか、怒れるか。

話し合いで解決できない事なんてない

さて、怒られる側に話を戻す。
あなたが怒られた時。部屋に戻って涙をこぼしながら考える。私はあんな事をしてしまった。あの人をあんなに怒らせてしまった。なんていう事をしてしまったんだろう。
でも、そんな時問いかけてほしい。話し合いで解決できない事なんてあるだろうか、いや、ない。(反語)

怒られる時、常に自分に言い続けてほしい。この世に、怒られるに値する事なんてない。怒られるに値する人なんていない。どんなに怒鳴られても、睨まれても、物を叩かれても、それはただの恐喝行為だ。相手が理性を失っている間に、私は自分に唱えよう、怒られるに値する事なんて存在しない。

私は、ケーキを食べた相手を怒らない大人になりたい

問題は、これが家庭で起こる時だ。親が子供に怒る。それは一種のパワーハラスメントとして機能する。しかも自分の家庭環境なんて灯台下暗し。自分の環境がおかしい!不当だ!と気づくのは大変な事だ。だからちょっとした「?」を大切にしたい。

という私も、まだ解決策は見つからない。親と距離を取るしかないと思っている。親とはずっと仲良くしていたい。彼らの素敵なところも沢山挙げられる。ただ、私ももう一人の大人だ。私は、強く生きる。私は、本を読み、自分の灯台に光を当てる。私は、ケーキを食べた相手を怒らない大人になりたい。その為に努力するつもりだ。客観性こそ、教育がくれた最高の贈り物だから。
あなたは、ケーキを食べた犯人を怒りますか。