17歳の時レイプされてから、厳密にはそれがレイプだったのだと気づき始めてから、私はTwitter上のジェンダーに関するツイートに興味を持ち始めた。

18の春に、1回目の受験が終わった開放感でその興味を解放し始めた。最初は口うるさい女のレッテルを貼られるのが嫌で、自分の言葉で発信するのが怖かった。だからリツイートをたくさんしていた。

女らしさ、男らしさなんて言葉はいらない。
女が身だしなみと称して脱毛や化粧を強制されるのは差別だ。
生理がエロとしてタブー視されるのはおかしい。
性被害の被害者がどこにいてどんな服を着てどんな行動をしたとしても、100%加害者が悪い。
といった趣旨のツイートを、何十も何百もリツイートした。

高校の友人と久しぶりに会ったときの違和感

1年に渡る浪人生活を経て、大学生になった私は高校の同級生2人と久しぶりに会うことになった。
中高一貫校を一緒に生き抜いてきた馬鹿仲間たち。1人は私と同じく1年間浪人をして、もう1人はストレートで合格していた。高校の先生たちに合格と進学の報告をして、バスで近くのパルコまで行って、ウインドウショッピングをしてからフードコートでグアバジュースを買って、一緒に飲みながら互いの近況をしゃべり合った。

「元気だった?」
「まあね」
「文乃は……まあ、Twitterでちょくちょくリツイートまわってきたから」

生存は確認してたけど、と彼女はまるで腫れ物に触るかのように言った。言葉にはしなかったけれど、ジェンダーのことを発信することがまるでおいたすることであるかのような。
少し引っかかったけれども、流してしまった。自分の思っていることと違うことを言われたとはいえ、仲良くしていた友達に反論するのはこわかった。無理にことを荒立てて場の空気を壊したくなかった。

またすぐ遊ぼうね、と言ったけど 予定は立たないまま

引っかかったことは別にもあった。
話題が男女関係の話になったとき、私がレイプされた話を1人が「ああ、痛い目に遭ったやつ」と言ったのだ。ショックのあまり一瞬固まってしまった。

私はその友人に直接被害の詳細を語ったことはない。たとえ無知から生まれたものでも、「自業自得だよね」などと言われたら死んでしまう。まだ被害受けたて病み上がりの心臓だ。ばりばり現役の生傷だ。それが刺激されるのが怖くて言えなかった。

無かったことにしてその場を流す方が、傷を表に出して対話するより100倍楽だった。
まあそれで苦しくて消化できずじまいだったから今になって掘り起こして語っているのだけど。それでも、受け流すのが瀕死の心臓のための唯一の生存戦略だった。

でも、状況的に仕方なかったとしても、せめて私の被害と苦しみを「痛い目」という言葉で片付けないで欲しかったし、フェミニズム系のツイートを面倒くさいことのように振る舞わないで欲しかった。理解できずとも悪しきものとして扱わないで欲しかった。

ただ、そんなこと言語化して向き合うエネルギーがその日はなかったため、結局受け流してべつの話題に移って、店が閉店の支度を始める20時には解散して、「またすぐ遊ぼうね」と言い合って帰った。

「次はここ行こう」と教えてもらった閉店予定のお店に行く予定は未だ立たないまま、そしてお店は閉店した。あれから半月以上が経っても、まだ一度も会っていない。

互いに予定が合わなかったり、1人は授業の忙しさを理由に遊べなかったりLINEの既読がつかないか既読無視が続いたり。別の人とは遊んでいる様子をよくSNS上に投稿しているので建前なのだと思う。

今言っても仕方ない話なのだが、もっと友達でいれたらよかったのにと思う。趣味はかなりばらけているけれど、全員癖があって異文化交流みが深くて、一緒にいて楽しかった。それに、割と長く一緒にいたのに価値観の相違で別れると、なんというか寂しいじゃないか。

でも、時は戻らないし、SNS上での様子を見ているとどうやら彼らは反フェミニズムの立場をとっていて、それでか私とは関わりたくないそぶりだし、私も自分の生き方を変えるつもりはない。これからも私はジェンダー系のツイートをたくさんリツイートして、たまに勇気を出して、自分の言葉で発信をして生きていこうと思う。そうやって生きて、また新しい友達を見つけられたら。