わたしの気持ちは移ろいやすい。女の子らしくなりたいと願って、根を張り、水をやり、栄養を蓄え、髪を伸ばす。それなのに、毎年、桜が舞い散る時期にバッサリと切り落としたくなってしまう。花が咲いていないときは見向きもしないくせに、満開の時期には"お花見"と称してお祭り騒ぎをする。

髪を切った日には、「こけしみたいでキモい」と言われた

いじめっ子に笑われたから、長い髪が好きではない。
私は小学生のころ、いじめられていた。記憶は忘れたはずなのに、こころの奥底に残っている。女子の間では陰湿ないじめが起こっている。物を隠されたり、けがをしたりはしない。でも、休み時間になるたびに、わざわざ真後ろの席に数人で座って、悪口をささやかれた。
全てにおいて言われるからキリがない。静かにしていれば「陰キャでキモい」、明るく振る舞えば「あいつ最近うるさいよね」、誰かに告白されると「男に媚び売りやがって」、テストで良い点を取ると「ガリ勉」、・・・・・・と、何をやっても飛んでくる悪口。

最初は、コンクリートの隙間からでも花を咲かせていた。
でも、親や担任さえも分かってくれない。女子の陰湿ないじめは、男の先生には分からなかったようだ。友達もいなくなって独りで帰り、教室でも独りぼっちでご飯を食べて、体育の時間にも"余り"になってしまっていた。

それでも、独りで過ごし続けた。だって、「そのうち飽きる」と思っていたから。私が我慢すればいい、私が耐えれば終わる、そう言い聞かせる毎日。

続くはずもなく、ついには枯れてしまった。
前はおもしろかったはずのお笑いも笑えない。悲しいのに涙が出ない。何もされてもどうでもよくて、怒りさえ湧いてこない。どうでも良くなって、わたしは、ハサミで顎まであった前髪をばっさり切り落とした。

髪を切った日には、前髪パッツンで黒髪だから「こけしみたいでキモい」と言われ、さらには、勝手にあだ名を"こけし"として、呼んできやがる。それでもよかった。どうでもいいから。振り向いたときに、クスクスと笑う声が耳に入ったことだけは、今でも反芻する。何年も前に忘れたはずなのに。

嫌な記憶を思い出してしまうから、また髪を切り落としてしまう

電車に乗っているとか、仕事中だとか、そんなことは関係ない。
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきてしまう。
自分の意思がコントロールできない。普段はそんなことがないのに、桜が咲いているのを見ると、いじめっ子にバカにされて髪を切ったことを思い出してしまう。だから、この時期だけは、大人げなく電車の中でも泣いてしまう。まるで、小学生の私が泣けなかった分を取り戻すかのようだ。周囲の人は、案外、見て見ぬふりをする。

そんな記憶を思い出してしまうから、また、髪を切り落としてしまう。
大人になった私は、美容院で綺麗に整えてもらう。「ばっさりですねー!」という声を尻目に「はい」と返事をして、移ろう気持ちに髪を合せる。胸まで伸ばした髪だって、パサパサの毛先だって、みるみるうちに白い床へパサリパサリと小さく音を立てて、落ちた。

髪を切ると、いじめを乗り越えた私が戻ってくる。今のわたしは悪口を言われても動じない。周りの声を気にせず、好きな小説を書き続けられるような強さを味方にできる。決して綺麗ではないけれど、そんな私らしい満点の花を咲かせられるようになった。

私は、悪口を養分にして、努力を続けて、こんなに咲き誇ったの

綺麗な桜ではないかもしれない。「お前は桜じゃない」と言われるかもしれない。
それでも、私は、いつだって極彩色で咲いて、好きなことをし続けてやる。

いじめをしてきた同級生を見返す気持ちは、ない。
貴方たちには絶対に、できないから。悪口を言うことしかしなかったじゃない。
私は、悪口を養分にして、努力を続けて、綺麗な小説を書けるようになったの。

せいぜい、この咲き誇っている極彩色の桜を見て、お花見でもしておきな。