2020年、お正月。
私は実家で家族団らんを過ごした。
その日はおばあちゃんも、うちに遊びにきていて、ふと、昔の写真をみよう!と母親が言い出して、大きくて埃のかぶったアルバムを押入れからえっさこいさ、と運んでみんなで見ていた。当時の服装や若い時の顔を見て母も祖母も大笑い。つられて、家族みんなが笑っていた。そして、幼い頃の兄と私は、本当に可愛かった。無邪気で、呑気で、元気で。
仲のいい兄と私の笑顔あふれる写真…。
三つ年上の兄とは誕生日も同じで、小さい頃からいつも一緒にお祝いしていた。
おじいちゃんに山や川に連れて行ってもらって、二人でたくさん遊んだ。
二人でユニークな遊びを考えて、変な遊びもしたりしていた。兄が牛役で、私が牛使い。兄の背中に乗って草原を駆け回る遊び…
ユニークすぎるだろ、と今では思うけど、あの頃はずーっと、その遊びの世界がユニークだとも思わずに当たり前のように楽しんでいた。
本当に仲のいい兄弟だった。
私たちは同じ空間にいても会話を交わさない、そんな兄弟になった
私が、「お兄ちゃんなんて大っ嫌い、一生嫌い!」って思ったのは、確か、私が小学4年生くらいの頃だっただろうか。
大好きな友達からもらった手作りのブレスレットを兄と軽い喧嘩をしている時に壊されて、兄がその時、一言もごめんを言わなかった時だった気がする。
その頃は、父は単身赴任で家にいなかったし、母も夜遅くの仕事で家にいなかった。だから、ご飯は二人でお母さんの作ったご飯をチンして食べたり、たまにはコンビニで好きなものを買って食べたりしていたけど、今思うと、それが寂しかったんだと思う。喧嘩をすると、何も話さずに二人で黙って食べたり、一緒にいてもテレビのチャンネルの取り合いで喧嘩になったりして、二人だけの夜は早くお母さんが帰ってこないかなぁと、寂しい気分でいっぱいだった。
そして、兄はだんだん思春期の男の子になって、無口になった。兄の友達が中学の時、いじめで不登校になって、兄は毎日その友達の家に通ってから学校に行っていたそうだけど、その友達は中学も高校も不登校だったそうだ。兄はその頃少し悲しそうだった。
私は負けず嫌いで気の強いテニス部の女の子だった。暗い兄を意地悪な言葉で傷つけていた。
私たちは同じ空間にいても会話を交わさない、そんな兄弟になった。話すとすぐに喧嘩になるような、そんな二人だった。そして、こんな家庭の不和は、友達や先生にも相談できず、思春期の私の大きなコンプレックスだった。
離れ離れになった事で気づいた、家族への愛や思いやりが戻ってきた
…今、私は大学生で兄は社会人。二人とも実家を出ていた。
私は実家にいる時からずっと、
遠くに行きたい。今とは違う場所へ…
と思い続けていた。
喧嘩の絶えない家を去って、新しい場所に行きたかった。
兄もきっと同じように思っていたんだろう。
母は、三階建ての大きな家に一人。
父は、単身赴任の小さなアパートに一人。
兄は、東京の社宅に一人。
私は、大学近くのアパートに一人。
一人一軒。きっとこれでみんな幸せだと思っていた…。
2020年のお正月は久しぶりに家族が集まって一緒にご飯を食べた。実家はリフォームをして、綺麗になっていた。
違う家みたいで、心地よかった。
それは、新しくなったから、という事と同時に、家族が離れ離れになった事で気づいた、家族への愛や思いやりが、もう一度家の中に戻ってきていたからだった。久しぶりに会う家族は、最近の自分の近況の話に華を咲かせた。
みんな一人一人、きいてよ、きいてよ!というふうに、話して話して大笑いして、なんだか、新しい家族に生まれ変わったみたいだった。
新しい私、新しい兄、新しい両親。そして、新しい家で、新しい年を迎えた。
一人一軒家族が、2020年も幸せに健康に過ごせますように
家族で写真を見ていると昔の思い出がブワァーーーっと蘇ってきて、思春期の二人の関係を通り越した、幼い頃の二人の絆を改めて心に感じた。
大好きだった、お兄ちゃん。
いつも甘えて、真似ばかりしていた。
二人で遊ぶのが大好きだった…。
帰り際、お兄ちゃんに、「ねぇ、お年玉は?」と、少し甘えてみると
「3000円な」と、少し笑って渡してくれた。
「お仕事頑張ってね!」
笑顔で兄に告げて、さようならをした。
嬉しくて、嬉しくて、温かい心に満たされた。窓からの木漏れ日や、小鳥の囀りが美しく見えて、幸せだなぁと思った。
一人一軒家族が、2020年も幸せに健康に過ごせますように。