大学生になり、友人の家庭環境は自分の家とどうやら違うぞ、と感じるようになった。友人の中には、両親が、国家公務員、教師、医者、外資系企業の役員、みたいな人がいたからだ。大学院に入ると、大学のころよりさらに、そんな友人や先輩が増えた。
自分の家庭環境に対する劣等感が、生まれてしまった
私の実家は田舎にあり、家には本は片手で数えるほどしかなかった。もともと農家で、両親は会社員。莫大な学費を賄ってくれたことに感謝はしつくせないが、自分の家庭環境に対していつからか劣等感が生まれてしまった。
劣等感を振り払おうと、「自分磨き」に奮闘したり、目標を大切にしようとしてみるけど、自分の凡庸さや、自分が育ってきた環境が不安や恐れへと変化し、いつもべったりまとわりつく。
大学院は浮世離れしていた。友人や先輩の教養を目の当たりにして、私は圧倒された。「○○の新作みた?」「あれは○○(著名な作家)の技術とやり方を踏襲してる」「私は前のほうが好きだった」
涼しい顔を装いつつ、「これは今まで経験してきた雑談じゃない」と焦った。
そこは、映画や文学、著名な研究者の知識があることが前提で話が進む「ハイソ」な世界だった。憧れると同時に叶わない、と思った。ずっと夢見ていたダンスパーティーに普段着で紛れ込んだような、明らかな場違い感。「わかってただろ」と自分を静かに責める声が脳内にこだまする。
私はずっと、教養があってユーモアも知的な彼女みたいになりたかった
ある日、ゼミが終わり友人と歩いていると、先輩とばったり出くわした。彼女たちは友人のワンピースを見て、ぱっと顔を輝かせた。「いつも素敵な服を着てるよね!」それを聞いた友人は「この水玉模様、さくらんぼみたいでしょ~」とやわらかい笑顔で答えた。私だったら、お礼を言うことが精いっぱいだろう。彼女は褒められることにも慣れていた。
彼女のワンピースは可愛くて、安っぽくなかった。彼女の持ち物のセンスはいつも人を惹きつけた。彼女は、素敵なものや文献を買うとき、おいしいケーキを食べるとき、値段のことは全然気にしてなかった。いつも笑顔で、語学もでき、教養もあってユーモアも知的。
私は、ずっとそんな彼女みたいになりたかった。
どんなおうちで、どんな会話をしてどんな本や芸術に触れればよかったの?って思った。そんな時はいつも、話に合わせて作り笑いをしてから足元を見て平気なふりをした。薄汚れたスニーカーが目に入ってくる。彼女のことが大好きなのにみじめに感じて苦しかった。
論文を書ききることしか自分を救う方法はなかった
「家に本があることと親の学歴は、子どもに影響を及ぼします」、みたいなことが研究で言われており、心の中で中指を立てた。それは私の中に、「院に来たけど結局論文を書けずに落ちぶれ、就職もできないのではないか、田舎者で家に本がない自分はやっぱり駄目なんじゃないか」という不安を生んだ。襲い掛かる呪いを打ち消すように、論文を書いた。私にはそのとき、論文を書ききることしか自分を救う方法はなかったのだ。私は論文にすがりついた。学位が欲しかったし自分で何かを書き上げてみたかった。劣等感は推進力になった。論文を書くことは不安と戦うことだった。
そうして私は、修士論文を提出した。やっと、憧れのダンスパーティでなんとか一曲、汗だくでも踊り切った、そんな気持ちで。
これからも単純な比べっこで、一喜一憂してしまうかもしれないけど
ここまで、ずいぶんやるせない気持ちばかり書いてしまったが、院で過ごした時間は濃かった。知識と熱意を持った友人との出会いは刺激的で、多くの音楽や映画や文学作品を好きになった。おいしいものを食べながら、歩きながら、とりとめもない思考の海を友人とさまようことは至福だった。私が求めていたのはこれだ、と感じた。
私の院生生活は、そんな相反する感情を心に残し、過ぎ去った。
これからも私は、人の家庭や学歴と自分を比べっこして、優越感に浸ったり、劣等感にさいなまれたり、一喜一憂するだろう。私は人との差異に敏感で、その差異にいつも、足をとらわれそうになる。でも、あの時血肉にしたことや劣等感、友人との幸せな時間や発見は今の私を作り、たしかに支えている。だからこれからも自分の足元と指先をたしかめながら、下手でも場違いでも泥臭く踊り続けていけると思う。