元恋人の優しいアドバイスは、自分の欲求を満たすための言葉だった

あなたは、「マンスプレイニング」という言葉を知っているだろうか?
マンスプレイニングとは、男性が偉そうに女性を見下しながら何かを解説・助言すること。man(男)とexplain(説明する)という言葉をかけ合わせた言葉だ。
出典:『 女性に男性が偉そうに解説する「マンスプレイニング」を、1枚の漫画が的確に表現している』(HUFFPOST/Jenavieve Hatch)
今回は、「マンスプレイニング」に関する話だ。
これは、私が大学時代に付き合っていた人との話。その恋人とは、本当に色んな事があった。それは自分の中に残っているけど、今回はその話はしない。
私と彼は、団体の違う軽音サークルに所属していた。お互いに、音楽に生かされていたと思う。
よく、好きなバンドの歌詞の話やアーティストの演出の話、そして二人が所属しているサークルの話をした。音楽の話題だけで、ダラダラとラインのトーク履歴が埋められている時もあった。
彼は、礼儀正しく面白い「いい人」という印象で、よく私のライブについて「アドバイス」をしてくれた。
「ライブの時に緊張しすぎているよ」
「ここの音が出ていないから、高音の練習をした方がいいよ」
というような簡単に気が付ける内容だったが、「ライブをちゃんと見てくれる」ことが嬉しかった。
それに、私はとても素直だったから
「なるほど、お客さんから見たらそう見えるのか。次から気を付けよう。」
と受け入れて、直せるように努力した。
ほどなくして、彼に好きな人が出来て別れることになる。振られたことにも傷ついていたが、別れる前後の彼の対応と言葉にかなり疲弊していた。あまりにも疲れてボロボロだったので、「一度、自分の気持ちが落ち着くまで距離を置かせてほしい」と頼んだが、彼は「なぜ、関係性まで崩そうとするの?」と断固として聞いてくれなかった。
そして、「友人関係」をダラダラ続けていた矢先のことだった。彼のアドバイスに疑問を持ったのは。
大学2年生の時だ。それは、先輩たちの卒業ライブ後のことだった。私は、彼と別れた後「何かを頑張らなくては」「そして彼を見返したい」と思って、とりつかれたように練習をした。あの頃の私は、周りが見えていなかった。その様子が無理をしているようにも見えたらしく、周りに心配する人もいたが、練習をしているときは楽しかった。
そのおかげか、歌がずいぶん上達した。周囲の評価も確実に上がっていたので、自己満足ではなかったと思う。何よりもそのライブは、これまでずっとお世話になっていたボーカルの先輩にも褒めてもらえた。彼はとても歌が上手で、これまで私の歌への評価は辛口だったが、成長に気付いて褒めてくれた。
けれども、元恋人は違った。「今回のライブを見て思ったのは…」と、箇条書きに改善点を並べてラインをくれた。色んな人に褒められたものの、あまり自分の歌に自信が持てず、Twitterで弱気なつぶやきをしたからだと思う。そして深層心理では、そのつぶやきを見た彼に「うまかったよ」と言ってほしかったのだ。そんな別のところにも理由はあったが、それを差し引いても、昔とは違う感情がこみ上げてきた。それは、「怒り」だった。
そして、彼のラインは「上から目線だったらごめんニャン(?)」との締めの言葉が結ばれていたので、怒りに任せて「私のことを下に見てるんだよね?」と聞いた。
すると、彼はこう言い放ったのだ。
「下に見てるとかないけど、そう思うんなら俺を見返せるようにもっと頑張ってほしい。」
彼は、確かにパフォーマンスは上手かった。だが、ライブの前に「昨日、お酒飲んじゃったので声があんまりでないかもしれません~」なんて言い訳するタイプだった。歌のスキルも、1年生の時とそれほど変わっていなかった。
そして、彼は私が「こうしたら?」というと「画期的じゃないから、お前の意見は聞かない」と言うのだ。
なぜ、自分は常に「上」の立場で「アドバイス」をするのが当たり前だと思い込んでいるのか。
確かに、見返したいとは思っていたが、そもそも「俺」を見返すために努力をする必要があるのか。
そして、気付いた。
彼にとっての「アドバイス」は、何かをよくするためのものではなく「自分が優越感に浸ることで、気持ちよくなるため」のものなのではないか。
「ライターをしている」
そういうと、時々「きっとこういうことが求められていると思う。俺はライターじゃないけど。」と言う人がいる。最近は、創作物をみていないのに「お前は見た感じ個性がないから、ライターに向いてない」と言い放った「自称ライター」もいた。
自慰行為には、もううんざりだ。家でやってほしい。
私は、そんな「自慰バイス」に「いらないよ」とはっきり示したい。
あなたたちの言葉がなくても、私はやれるよ。
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